アピールしたのは「江戸時代」の金の生産技術

ちなみに、新潟県と佐渡市が推薦書でアピールしたのは、江戸時代における金の生産技術だった。つまり、鎖国政策が続いて海外との交流がほぼ絶たれた時代、海外では機会による掘削が中心になるなか、世界最大級の金山を中世から続く手掘りの技術で金を採掘してきたこと。それが佐渡金山独自の価値だ、という主張である。

1601年に開山され、その2年後に徳川幕府の天領になった佐渡金山は、独自の手掘りによって幕府の財政を支え続けた。

そのシンボルは「道遊の割戸」である。標高252メートルの山が斧を振り下ろしたかのように、てっぺんから割れている画像を見たことがあるだろう。金鉱石が露出していた山頂から手掘りで掘削した結果、山があのような姿になったのだ。

佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」。露天掘りの跡。(写真=Muramasa/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

江戸初期の最盛期には、金の年間産出量が400キロを超えていたといい、中心となる相川金銀山では、掘り出した鉱石から純度の高い金を取り出し、小判まで製造していた。

そうした歴史的価値は、果たして世界遺産登録の評価基準となる「顕著な普遍的価値」と評価するに値するかどうか。問題はその点につきるはずだろう。

第二次世界大戦中のことだけが争われている

ところが、繰り広げられている「歴史戦」とやらでは、冒頭でもの述べたように、佐渡金山そのものの価値についてまったく議論されていない。

そもそも、議論の対象は江戸時代における佐渡金山の価値でなければいけないはずなのに、現実には、第二次世界大戦中のことだけが争われている。

例えば安倍元総理らは、「日本人も朝鮮人もほぼ同一賃金で働いていて、無料の社宅や寮があり、娯楽提供の機会もあったから、強制労働とは言えない」などと主張する。

それに対し、登録に反対する側は、「朝鮮人を募集した動機は、採掘時に粉塵を吸い込んで起きる肺病から日本人を守るためだったのではないか」「労働条件が劣る坑道で朝鮮人が働かされていた疑いがある」「労務に関わる職員の一部に、朝鮮人への極端な差別意識があった」などと反論する。

戦時中の佐渡金山の労働環境が過酷であったことは、史料等からもわかる。だが、仮にそのなかで日本人労働者が優遇されがちだったとして、それだけで「強制労働」と断じるのは、明らかに踏み込みすぎではないだろうか。

遺跡の価値は「強制労働」と別次元の話

百歩譲って強制労働があったとしても、それによって江戸時代における佐渡金山の独自性と、世界的に稀有な手掘りの技術や、それによって掘られた坑道跡などの価値が損なわれるものではないだろう。

また、明治から採掘が中止される1989年までの歴史を加えて考えても、鉱山技術の変遷を一カ所ですべて確認できる遺跡は世界的にもまれで、その価値は「強制労働」云々とは別の次元に存在している。