日韓の歴史認識の問題にすり替わっている

結局、岸田文雄総理は1月28日、推薦する方針を表明し、2月1日に閣議了解されたが、それが保守派に背中を押されての決定のように見えたから、なおさら韓国側の反発は強またようだ。

2月12日、韓国の鄭義容外相が林芳正外相に「強い遺憾と抗議の意」を示し、14日には韓国国会が、日本に推薦撤回を求める決議を採択した。

むろん韓国メディアも一斉に反発した。

例えば京郷新聞は社説で「岸田総理が安倍など強硬派の攻勢に押され、再び過去の歴史問題から退行するとは残念だ。総理が変わっても韓日関係の改善を期待できない現実に失望する」と訴え、佐渡金山の世界遺産登録を阻止するよう韓国政府に呼びかけた。

「歴史戦」という表現

日本にも韓国側の訴えを補完する主張がある。

例えば、社民党の機関紙「社会新報」は、安倍元総理ら自民党タカ派の狙いは「植民地にした朝鮮半島からの強制労働動員の歴史的事実を抹消することにある」と断定。

日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」も「『歴史戦』と称し、侵略戦争や植民地支配、それに伴う人権侵害を否定する立場から歴史を改ざんし、それを認めない相手を攻撃することは根本的に間違っています」と書いた。

どうやら、佐渡金山の世界文化遺産への推薦問題は、文化遺産としての価値についての議論が置き去りにされたまま、日韓の、そして左右両翼の歴史認識に関する問題にすり替わってしまっている。

だが、もともと佐渡金山の世界遺産登録をめざす動きは、歴史認識などとはまったく無縁だったのである。

暫定リスト入りしたのは民主党政権時代

佐渡金山が世界文化遺産の候補地に名乗りを上げたのは、石見銀山が世界遺産に登録された2007年のこと。

文化庁の公募に対して新潟県と佐渡市が立候補し、2010年6月にユネスコの暫定リスト入りが決定。同年10月に「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」として、暫定リストに掲載された。

2010年といえば民主党政権の時代。当時の菅直人総理は、歴史の事実を直視すること、植民地支配への反省とお詫びをしきりに訴えていた。そんな政権下において世界遺産に推薦する方針が決まった佐渡金山である。

本来はそこに、いま争われているような「歴史戦」の要素、すなわち歴史認識の問題など、存在していなかったのだ。