こうして「地縁」は形づくられ、継承される

佐賀新聞には、訃報欄もあれば、最近生まれた赤ちゃんを紹介する欄、さらには最近誕生日や誕生月を迎えた子どもを紹介する欄がある。こうした欄を見たであろう商店主の店に行ったりすると、店主は新たに生まれた赤ちゃんをどう祝うかについて、電話で知人と議論中なんてことがある。その間、客対応は止まってしまい、脇では妻が「ごめんなさいね(苦笑)。もう少し待っててね」なんてことを言っている。これがこの街で生きていくにあたっては重要なことなのだろう。ただ、私はこの光景を微笑ましく思うのだ。

誰かが生まれたら祝い、誕生日を迎えたら喜ぶ。亡くなったら追悼する。だから地方紙にはこうした情報が掲載されているわけだし、地元の人々はこれらをつぶさに確認しては、知り合いどうしで連絡を取り合う。そうして脈々と「地元のよしみ」「地縁」を継承してきたのだ。

不思議なもので、私のようなヨソからやってきた者であっても「先日、○○さんと知り合って」「××さんからこちらを紹介されて」と前に出会った人の名前を出すと「○○さん……あぁ、せいちゃんにも会ったの!」「××と飲んだのか! そうかそうか」なんて嬉しそうに返され、一気に距離を縮めてくれる。

唐津に暮らすようになってから出会った人のなかには、いわゆる“地元の名士”的な人物もいる。こうした人々は会社を経営しているケースが多いのだが、一方で地域の世話役としても頼られる存在であり、たとえばユネスコの無形文化遺産にも登録されている伝統的な大祭「唐津くんち」の運営にも携わっていたりする。そんな彼らと飲むと「次のくんちでは、ぜひ中川さんも『山(巨大な曳山のこと)』を曳いてくださいね!」なんてことを言ってくれる(いや、まだ私には早いのでここは辞退し、見物に徹するつもりだ)。

写真=iStock.com/Matthieu Tuffet
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地方の暮らしが合う人もいれば、合わない人もいる

いま述べたような話を聞いて、「地縁が濃すぎる」と煩わしく思う人もいるだろう。私はとても心地よく感じているが、合う人・合わない人がいることは心得ている。

ここで念のため補足しておくが、私は別に「地方の暮らしぶりこそが正しい」と言いたいわけではない。たとえば地方と大都市圏における賃金や求人数の格差、選べる業種・業態・専門性といった職域の幅の違いなどが影響し、「どこで暮らし、どんな仕事に就くか」といった議論がそう単純ではないことも、一方では理解している。「居られるものなら地元に居たかったが、行きたい学校や希望する仕事がないから東京や大阪といった大都会に出るしかなかった」という人が数多く存在することも承知している。住宅事情に関しても、それぞれの経済状況や生活エリアの不動産トレンド次第で変わってくることはわかっている。

なにに重きを置いて人生を送るか、どのような形で社会に接点を持つかは各人各様であり、「これが絶対的な正義だ」なんて言える選択肢はない。なにを優先するかは、その人の自由だ。

ここで私が伝えたかったのは、佐賀県に拠点を移してから知り合った人々のブレない生き方、地に足をつけた暮らしぶりに、私自身とても感銘を受けたこと。そして、そこから学ぶべき価値観やこれまで知り得なかったような生きざまもある、ということである。