部下に送った罵詈雑言の手紙

その一方で、頼朝の面白いところは、関東の御家人たちが、頼朝の推薦を受けずに朝廷の官職をもらったことに怒り、彼らの名前とともに、その悪いところを紙に書いて送っていることだ(『吾妻鏡』一一八五年)。

例えば、後藤基清には「目はネズミに似ている。ただおとなしく仕えていれば良いものを。勝手に任官などして。とんでもないことだ」と責め、波多野有経には「小物のくせに。五位の馬允うまのじょうの任命を受けるなんて、あり得ない」と憤る。梶原朝景には「声は嗄れ声で、髪は薄く、やっと髷を結ってる」、さらに「人相が悪くて、おかしな奴だと思っていた。任官など見苦しい」と怒る。

他にも、頼朝は任官した家臣たちの悪口を列挙し、「関東に帰って来るな」と怒りをぶつけている。これだけ聞いたなら、単なる嫌な上司にも思える。

しかし、私が感心するのは、頼朝という男は、家臣をよく観察しているなということである。人間というものに大いなる関心があったのではないか。若い頃からの約20年に及ぶ伊豆での配所生活において、誰が信用できて、誰が信用できないかといった人間観察力を養っていったのだろう。

頼朝は、褒める時には褒め、怒る時には怒り、メリハリをきかせているように感じる。組織を活性化させ、時に引き締めるには、そうした手法が有効であろう。

前出の『玉葉』には、頼朝のことを「威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」と記している。頼朝が威厳・個性・公明公正さ・決断力などを兼ね備えていたことが窺えよう。頼朝は、武家の棟梁にふさわしい資質を持っていたのである。

大泉洋の心配は無用といえるワケ

ただ、頼朝の人気が高いかというとそうでもない。それは弟・義経を追い詰め、最終的に死においやったことが大きな要因だろう。ただ、それほど非難されることなのだろうか。

義経は頼朝の弟と紹介されることが多いが、実の弟ではなく、異母弟だ。

義経の母は、常盤御前で、頼朝の母は熱田神宮の大宮司・藤原季範すえのりの娘である。しかも、頼朝と義経は小さい時から面識があったわけではない。

2人の初対面は、治承4年(1180)10月。この時、頼朝33歳、義経21歳。父(源義朝)は同じといっても、母は違い、それまで一度も会ったことがない「兄弟」だったのだ。これで、親近感が湧くかといったら、現代人でも疑問符が付く人も多いのではないか。

また、時は乱世。頼朝も義経も激しい権力闘争のなかに身を置いていた。たとえ親族であったとしても敵対した勢力を滅ぼすことが、自分の家の安泰につながったのである。

そうしたことを考えた時、義経を追い詰めたことが理由で頼朝を非難するのは、少し間違っているように思うのだ。

頼朝演じる大泉さんは、昨年NHKの番組に出演した際、義経を排除するシーンがあることについて「ちょっと私……人気なくなると思います」と話されていたが、その心配はご無用と私はお伝えしたい。

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