学校群制で“進学エリートコース”が崩壊
日比谷高校に入学するための近道と言われる小中学校がある。千代田区の番町小、麹町中だ。地元ではエリートコースと呼ばれており、日比谷に入れたいため、これらの学校に通える学区に転入してくる教育熱心な家庭があった。1965年、麹町中から日比谷高校への進学者は87人を数えた。同級生のなかで群を抜く人数である。当時、このコースに乗っている子どもの保護者がこう話す。
ところが、学校群制によって「日比谷高校予備校」のような麹町中で異変が起こった。日比谷愛が失われつつあったのである。麹町中の保護者の声を伝えている。
この「400番以下」は信憑性にかなり欠ける。十分な根拠、データのない発言であり、受験生と保護者の歪んだ心理が示されている。学校群制以前ならば、日比谷には東京大を目ざして優秀な生徒が集まった。しかし、学校群制で優秀ではない生徒も日比谷に振り分けられる。そのような環境では難関大学突破はむずかしい。ならば、ほかの進学校に通わせたほうがいい――ということである。
有名私立のすべり止めにされていた日比谷高校
それは日比谷もわかっていた。同校教諭のこんなグチ、皮肉が伝えられている。
前提として一中絶対主義、日比谷中心思想がある。日比谷が「すべり止め」にされるのは屈辱だったのだろう。付属とは東京教育大附属、同大附属駒場、東京学芸大附属、慶應義塾などである。有名私立は開成、武蔵などだが、学校群制以前は逆にこれら「付属や有名私立」が日比谷のすべり止めだった。
学校群制を導入した責任者である当時の都の教育長、小尾乕雄氏はこう話している。