2000年代後半まで斜陽の時代は続いた

1994(平成6)年、単独選抜入試制度となった。完全に学校群制以前に戻ったのである。しかし、人気は取り戻せなかった。同年の日比谷の入試は受験者全員合格である。日比谷より、早慶に加えて明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大など私立大学の附属校が選ばれたという。この頃の母校について日比谷OBはこう話している。

「学校群ができたときから別の学校のような気がしてたからね。それを機に先生たちも大学に移っちゃった。だからあまり感慨はない。入りたい人は入れてやればいい」(『週刊朝日』1994年3月18日号)

東京大合格者が少ない時期の母校を「別の学校」扱いとは、ずいぶん冷たい。「斜陽」と嘆くOBもいた。

その後も日比谷は復活が遅れた。単独選抜はなかなか功を奏さない。1998、99年の東京大合格者はいずれも2人で、2004(平成16)年まで1ケタが続いた。ふたたび増えはじめて一中の「復権」と呼ばれるようになるのは2000年代後半以降のことであり、それはお上の政策によるものだった

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