訪問医も訪問看護師も、遠慮なく変えていい
なかには「往診します」とうたっておきながら、よほどの緊急時でない限りは患者宅を訪れず、看護師や薬剤師に薬だけを届けさせるという「訪問医」もいるそうだ。希望をもっている患者に対し、「この病気は何年しかもたない」など心ない言葉を口にしたり、患者の要望に対し「無理でしょ」とすぐに決めつける医療従事者もいる。
「訪問医はもちろん、訪問看護師もケアマネージャーも交代できます。もし『二度と来るな!』と思うような対応をされたら、遠慮なくチェンジしてください。患者さんに関わる誰かに本音を話せばいいんです。訪問医、ケアマネージャー、私たちのような訪問看護師が話しづらかったら、地域包括センターでも、病院のソーシャルワーカーでもいい。思ったことを口にすれば、相談しやすい人に話してみれば、きっと誰かが解決する方法を教えてくれるはずです」(同)
“看護師はえらくない”と、宮本さんは思っている。患者さん主体だから「自分のやり方を通さない」のだという。もし他の看護師のやり方がその患者さんに合うのなら、そのやり方を皆で共有するのがいいのではないか、と話すのだった。
終末期にどういった選択があるのかを理解したほうがいい
元看護師で現在はケアマネージャーを務める吉野清美さんは「オールマイティな医師はいない」と話す。
「先生(医師)は神様でないですし、ミスもするし、感情もあらわにするし、自分の専門以外のことには熱心でない先生も少なくありません。先生が人柄的にも“いい人”だと思わないほうがいいですよ。病院しか知らない医師も多く、むしろみなさんより社会経験が豊富でなかったりするのです。事前に“情報”を武器として持つことも必要です」
情報とは終末期にどういった選択があるのかを理解し、それを伝えられる力とも言い換えられる。
吉野さんが今、広めているのが『私の生き方連絡ノート』(「自分らしい「生き」「死に」を考える会」編)だ。ノートは自分が望むこれからの医療・ケアについての希望を書きとめられる形式になっている。言葉はあいまいだが、ノートは各々が具体的に記していきやすいスタイルだ。
例えば<今の自分が望む医療・ケアのかたち>では、次のような例があげられている。
・最先端の治療を受けたい
・●歳まではできるだけ治療を受けたい
・生活の質(口から食べる、声を出す、家で過ごす、仕事を続けるなど)を落とさないことを第一に考えて治療したい
・年単位で余命が期待できればつらくても治療するが、治療しても週単位でしか余命が延びないなら、その治療はしない
・生まれ故郷で療養したい
・療養は家族とともにしたい
ノートには<一年に一度(誕生日などに)は内容を見直しましょう><考えや状況は変わることがあります。考えが変わったらその都度書き換えましょう>と記されているが、これは在宅看取りにかかわるすべての医療従事者がよく口にすることだ。