豹変する母親、孤立する家族

母と深夜まで争うから、朝は起きられない。学校に遅刻するのが日常茶飯事になった。

「給食が食べられればそれでいいや」

中学の教師からは問題児扱いされ、よく呼び出されて説教された。息抜きに音楽を聴きながら自転車で登校して、音楽プレーヤーを没収された。同級生ともしょっちゅうケンカをした。

今思えば、我ながら、心のとがった嫌なやつだった。

学校でしかられる度、いっそ全部吐き出してしまおうかと思う瞬間があったが、打ち明けてもどうにもならないというあきらめがまさった。

家庭訪問の日、家は灯油が切れて寒かった。電気も切れていたかもしれない。教師と母の会話はもちろんかみ合わなかった。

それからその教師は少しだけ優しくなった。

「不良の親の顔を見てやろう」と乗り込んできたのに、あまりに悲惨でかわいそうになったのかな? 同情されるっていいもんだな、とマドカはちらっと考えた。ただ、状況は何も好転せず、教師たちはあいかわらず「頼れる大人」ではなかった。

「助けて!」夜中、母と争うマドカの悲鳴は隣近所に響いたはずだが、近所の人に何か助けてもらった記憶はない。

あれほど多かった人の出入りもぱったり無くなった。回覧板、ゴミ出しの後の掃除当番など、マドカの家庭は町内会の決まりにうまく従えなくなり、結果として「地域で浮いて」いた。

母は前頭側頭型認知症だった

救いは20歳ほども年の離れた兄や姉の存在だった。それぞれ独立して家を出ていたが、「母の様子がおかしい」と病院に連れて行ってくれた。

50代後半だった母は「ピック病」と診断された(これは当時の呼称で、今なら前頭側頭型認知症)。でも、病名が付いたところで、マドカの生活そのものは何も変わらなかった。

友達にも相談できなかった。

写真=iStock.com/kanariie
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給食がない日、母が作った弁当のふたを開けると、冷凍のミックスベジタブルだけがぎっしり詰まっていた。誰にも見られないようにこっそり食べた。

母は日中だけデイサービスを利用していた。ある時、同級生に聞かれた。

「マドカのお母さんってデイサービスに行ってる?」

その子は、私のお母さんがそこで働いてるんだ、と言った。

恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。消えたい、消えたい、消えたい。“親がまともじゃない”なんて知られたくなかった。普通の子でいたかったのに。中学生の小さなプライドが音をたてて崩れた。

でも、その子はそのことを誰にも言わず、マドカをバカにすることもなかった。学校から家に帰れば母とマドカ、2人きりの生活が続く。母の暴力や暴言はやまなかった。

今見ているのが天井なのか床なのかもわからないほど、毎日打ちのめされた。