知力と腕力と大胆さ

日本では色男は腕力に乏しいイメージがありますが、カサノヴァは知力も腕力も備わった男であり、女性だけでなく冒険も愛しました。21歳の時、ふとした偶然で大貴族ブラガディーノ家の一員を救い、生涯のパトロンを得ています。

相変わらず華やかな女性関係を楽しんでいたカサノヴァは23歳の時、少女を強姦した嫌疑をかけられ(後に無罪)、ヴェネチアを離れるとパリ、ドレスデン、プラハ、ウィーンなどを遍歴、フリーメイソンに加盟していたともいわれます。

この噂のために、彼は教会権力から疑念を向けられる一方、特別な力を望む人々からは尊重されるという不思議な立場を手に入れます。知識、知性、創造力、話術、そして大胆な行動で人々を魅了した彼は、行く先々で浮名を流しました。

カサノヴァは1753年にヴェネチアに戻りましたが、2年後には娘とカサノヴァが恋仲になったことに激怒した大貴族の訴えで宗教裁判にかけられ、有罪となります。そして監視厳重なことで有名な「鉛の監獄」に収監されてしまいます。

しかし何とそこから脱獄し、パリに逃亡を果たしました。この監獄はカサノヴァ以外、誰も脱走したものはいないといわれ、彼の“名声”に一層の箔をつけることになりました。

以降、カサノヴァは騎士ド・サンガール、ファルッシ伯爵などいくつかの変名を使いながらヨーロッパ中を股にかけて暮らしました。

その生活は逃げ隠れするというには大胆不敵な活躍ぶりで、各国の宮廷に出入りし、教皇クレメンス一三世やロシアのエカチェリーナ二世、プロイセンのフリードリッヒ大王、フランス国王ルイ一五世の公妾ポンパドゥール夫人らの知遇を得ています。

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恋愛当初から心が通い合う関係を結ぶ

知識人との交流も多く、哲学者のヴォルテールやベンジャミン・フランクリンとも親交を持ちました。彼はヴォルテールとの対話で「人類を愛しなさい。しかし、あるがままの姿で愛しなさい」と述べています。

カサノヴァは「女性をたくさん楽しませた」と豪語しています。それは肉体的な快楽だけが目的ではありませんでした。彼が関係した女性たちの多くは、恋愛関係が終息したのちにも、深い友人としての好意を抱き続け、彼を助けてくれました。

カサノヴァは恋愛当初から心が通い合う関係を結んでいたのです。そう感じさせること自体が、一種の詐術だとしても。

それにしても彼は神出鬼没。1761年に七年戦争を収拾するために開かれたアウクスブルク会議には、カサノヴァはなぜかポルトガル使節団の一員として参加しています。また一説には、求められてモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の脚本(ロレンツォ・ダ・ポンテ作)に目を通し、筆を入れたともいわれます。

行く先々で派手な生活をしたカサノヴァにとって、パトロンの支援のほか、博打も大きな収入源でした。当然ながらいかさまをしていたのですが、その手際は見事で、巧みに騙す詐欺師というより、公正ではないと薄々気づいている相手をも魅了し感心させる一種の芸術家でした。

もっとも手品の御代にしては高いので、たまには野暮な相手が騒ぐこともありましたが、彼は長身壮健の偉丈夫で剣の名人。決闘となればむしろ望むところでした。