高校時代の野田総理。

だが、就任直後の内閣支持率を見ると、小渕は31.9%だったが、野田は62.8%に達した(ともに共同通信の調査)。

民主党政権は2009年9月、4年間の期間限定改革挑戦政権という使命を負って出発したが、一言で言えば、11年夏まで「迷走・内紛・脱線」の2年だった。迷走は政権担当能力不足の鳩山の失敗、内紛は菅と小沢一郎元代表のバトル、脱線は自己中心的な菅の暴走が主因で、その結果、崖っ縁に追い詰められた。

民主党政権崩壊の危機に加え、ねじれの常態化、連続短命首相、財源難という状況の下で、「決まらず、動かず、進まない政治」が5年以上も続いている。野田首相は「無力政治」という危機を打破する資質と能力を備えているかどうか。「泥鰌首相」の素顔を追った。

野田総理と同じ柔道部だった神馬征峰東京大学教授。

野田は57年5月に千葉県船橋市で生まれた。自衛官の家庭に育ち、県立船橋高から早大政経学部に進んだ。高校では柔道部にいた。キャプテンだった同級生の神馬征峰(現東大教授)が語る。

「受け身タイプで、目立たなかった。粘り強く頑張り通す。最後までめげない、諦めない。政治家に、という話をした記憶はないが、高三の夏休みに『日本の歴史』を全巻、読み通したと聞いてびっくりした。大学時代、テレビのクイズ番組で優勝してアメリカに行った。そんなタイプじゃなかった。一つ上のレベルに行ったというか、変わったなと思った」

フジテレビ系の「クイズグランプリ」という番組で、20歳のときだ。