大野や鈴村ならばひと目見て、管理者を一喝すればカイゼンは行われるのだが、入社8年前後の張、池渕にはそういった手法は取れない。愚直に「教えをう」という姿勢でなくては作業者は話をしてくれない。

考えてみれば、最初のうちは手を動かすこともなく、冷たい視線のなかで、ただ立っているしかない仕事だった。しかし、彼らはそこから始めたのである。

ライン作業を眺めていると突然立ち止まり…

わたし自身、7年の間に70回、トヨタの工場を見学し、ラインを見つめた。では、何かムダを発見できたかと問われたら、まったくできなかったと答えるほかはない。ひとつくらい見つけられるんじゃないかと思って、現場に立ったけれど、現実は甘くなかった。いつ見ても、現場のライン作業は同じように見えたし、たとえ、ラインが止まったとしても、そこで何が起こったかは、作業者に聞いてみない限り、まったくわからなかった。

野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)

ある時、生産調査室室長だった二之夕にのゆ裕美(現・東海理化社長)と一緒に元町工場の組み立てラインを見ていたことがある。

見学コースからラインを眺めていたのだが、二之夕は突然、立ち止まり、「あそこを変えなきゃ」とつぶやいた。

えっ、どこですかと訊ねたら、「あの作業者が見えますか?」と言った。

「ほら、彼です。バンパーを取り付ける前に包装のセロファンを外しているでしょう?」

確かに、その作業者はいちいちセロファンをはがしてからバンパーを車体に取り付けていた。

「張りついたセロファンをひきはがすのは面倒です。一日に何度もやっていると嫌になる。あれはセロファンを外す工程をどこかに作らなきゃいけない。もしくはセロファンではない包装材に変えることも考えなくてはならない」

マニュアルを作って配れば済むことではない

二之夕はラインを一瞥いちべつしただけで、問題点を発見し、同時に改善案を考え出し、次の瞬間には部下を呼んで、すぐに実現化するよう言い渡していた。もっと言えば、カイゼンが進んでいる現在でさえ、ラインを見つめればムダを発見することができるわけだ。

トヨタ生産方式を定着させる仕事とは、つまりこういうことだ。見る目を持ったプロが、人がやりにくそうにしているところを探し、ひとつずつ、その場で解決する。

「カイゼンの方法と本質」といったマニュアルを作って配ればそれで済むことではない。現場のカイゼンは大野、鈴村が張や池渕に伝授したように人から人へ手渡しで教えていくことだ。その後に体系化を考える。こうして細かな現場の技術は会社全体に蓄積され、系統立てて教育されていく。トヨタ生産方式の伝承とは現場から始まり、解決した事例を全社に伝えていくことだ。

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