規範の監視が「宗教機関」から「世俗機関」に移った
しかし、ここで二つの点に注目したい。一つは、同法の執行は内務省を主管とし、「取り締まりを行うのは警察官」と明記されている点だ。これは、宗教にもとづいた規範の監視が宗教機関から世俗機関の職掌へと移ったことを意味する。もう一つは、同法を違反した人に科される刑罰は財産刑(罰金)に限られている点である。つまり、イスラーム法学のヒスバ(風紀取り締まり)論にのっとった鞭打ちなどの身体刑は科されない。宗教の規範に違反することが神ではなく、国家に対する罪と捉えられているわけだ(図表2)。
観光政策が「イスラーム」と「ネガティブ」の紐を断ち切る
政府が思い描く観光政策の理想的な行く末は、非ムスリムを含めた多くの外国人を招き入れ、彼らが国内でお金を落とすことで経済が活性化し、雇用が安定的に増えることである。そして外国人らが、女性が輝き、過激主義と呼ぶには程遠い宗教文化が根づいているサウジアラビア社会の様子を目の当たりにして、現在のビジョン2030やそれを指揮するムハンマド皇太子の開明的な政策を褒め称えることであろう。
もちろんどの国でも、少なくとも体制側の人間であれば、自国の「良い」面を外国人に見てもらい、これを実現した政府を評価してほしいと思うのが普通であろう。ただしサウジアラビアの場合、イスラームに紐づいたさまざまなネガティブな評価が、とくに西洋諸国から寄せられてきた点は大きな特徴である。さりとて、イスラームは同国の一蓮托生ともいえる金看板であり、これを放棄したり、悪者に仕立て上げたりすることはできない。この点、観光政策にはイスラームとネガティブな評価とを結ぶさまざまな紐を断ち切る意義もある。