そこから銀座に「かずさ」という自前のクラブを持ったという。この頃に静岡の眼鏡店の後継ぎと結婚するが、3年半後に離婚している。

離婚後に銀座にバー、クラブを立て続けにオープンした。だが好事魔多し。クラブに顔を出していた男にだまされ、赤坂に陶板焼きの店「艶歌」を莫大な借金をして買ったが、その男がカネも従業員の給料も持ってトンずらしてしまったのだ。

経営者だったのに占いをどうやって覚えたのか

その後、「艶歌」をサパークラブにして、そこの常連になったのが、私が島倉の件で会った堀尾で、小金井一家八代目総長(二率会会長代行)だったという。堀尾の実質的な姐さんになったことで、細木の暴力団人脈が形成されていったと『魔女』は書いている。

私が細木に初めて会ったのも「艶歌」だったのだろう。

先を急ごう。細木は占いの本を多く出し、ギネスにも載るぐらい売れていると豪語していたが、その占いはどこで覚えたのか。

『魔女』によれば、「神・心理占星学会」会長の神という女性からだったという。神は『魔女』の中で、「彼女が本格的に占いを勉強したことはなく、私からの聞きかじりか、私が貸した資料の誤った引用です」と語っている。

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ごま書房の元関係者も、細木が持ち込んできた原稿は完全ではなく、占いを知らない編集部も作成に協力したから、プロから見れば間違いもあるでしょうといっている。

だが、「艶歌」をディスコに模様替えしたようだが赤字はかさむばかりだったようだ。カネに窮していた細木は金のなる木「島倉千代子」と出会う。1977年に島倉の興行権を握り、蓄財していく。

彼女を知るきっかけは赤坂に住んでいるフィクサーといわれた安部正明だという。彼の家には錚々そうそうたる人間たちが出入りしていて、その中には美空ひばりも島倉もいた。細木や堀尾も出入りしていたようだ。

島倉と一緒に暮らしていた眼科医が不渡りを出して蒸発してしまった。彼の手形の裏書をしていたため、島倉が3億円ともいわれる債務を引っかぶってしまったのである。

「お酒よ、お酒。お酒で“殺した”のよ」

そこに細木が言葉巧みに入り込み、島倉と安部を離反させ、島倉を手中に収めたというのだ。細木は私にもいったように、尾羽打ち枯らしていた島倉と偶然出会い、善意で助けているとマスコミに吹聴していたが、細木は島倉を3年間同居させ自分の管理下に置き、荒稼ぎをしていた。

一方で、堀尾が島倉の債権者たちを口説いて、借金を圧縮してもらったという。『魔女』によると、その間に細木は10億円近く稼いだのではないかといわれているそうだ。

まさに「色と金儲けこそ人生」という彼女らしい“凄味”を感じる。