「生涯の師」との束の間の対面
結婚の翌年、昭和2年24歳の夏、テルは憧れの師西条八十とたった一度会っている。講演旅行で九州へ行く八十と、下関駅のホームで会った。八十によると、テルは普段着のままで、ふさえを背負い、手紙ではいつも雄弁なのに実際に会ったテルは口数が少なかったという。
「――寡黙でただその輝く瞳のみがものを言った」。八十はその時の出会いをこう記している。連絡船が出るまでのたった5分間の短い、最初で最後の対面だったが、嬉しさを押さえきれずにテルはふさえを背負ったまま家へ帰る道を遠回りして文英堂に寄り、「今、西条先生とお会いしてきた」と、とても嬉しそうに語ったという。詩の世界とふれあうことが、テルの生命の支えだった。
あけて昭和3年、テルは健康状態が思わしくなく、かなり長い間床についた時期があった。夫との関係もすでに冷たいものになっていた。この年の『燭台』『愛誦』の11月号にそれぞれ「日の光」と「七夕のころ」を発表して「みすゞ」の作品発表は終止符を打つ。
おてんと様のお使ひが
揃つて空をたちました。
みちで出逢つたみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。
一人は答へていひました。
(この「明るさ」を地に撒くの、
みんながお仕事できるやう。)
一人はさもさも嬉しさう。
(私はお花を咲かせるの、
世界をたのしくするために。)
一人はやさしく、おとなしく、
(私は清いたましひの、
のぼる反り橋かけるのよ。)
残つた一人はさみしさう。
(私は「影」をつくるため、
やつぱり一しよにまゐります。)