葉っぴーFarmの小松菜栽培はルーティン作業ではなく、常に改善を意識して考えることが求められるが、思考力や柔軟性も期待以上。荒木さんは「さすが、ネパールで唯一の国立大学(当時)を出ただけあるな」と舌を巻いた。

荒木さんは、農業を始めた時から「サラリーマンと同じくらいの収入を得て、サラリーマン並みの生活をすること」を目標にしていた。だから、毎日の労働時間もできる限り8時間程度に抑え、しっかり貯金もして、60歳で引退をしたら自由な余生を過ごそうと考えていた。

しかし、後継者がいなければそれも叶わない。それで、これまで何人か、見込みがありそうな研修生に「継いでみないか?」と声をかけてきたのだが、「地元に帰りたい」「長男だから家を継ぐ」といった理由で断られていた。これからどうしたらいいのかと頭を悩ませていた時に現れたのが、ダルマだった。

写真提供=ダルマさん
ダルマさん(右)の才能を見事に見抜いた荒木さん

ダルマの仕事ぶりを見て「この男は!」というこれまでにない手ごたえを得た荒木さんは、ある日、葉っぴーFarmを継ぐ気があるか、ダルマに尋ねた。その時、ダルマは「自分には難しい」と逡巡した。それは、やりたくないという意味ではなかった。

「農業についてなにも知らない自分が、荒木さんから継いで農業経営しますって、それはちょっと違うんじゃないって思ったんですよね」

2回目の誘いに「やるしかないと思いましたね」

戸惑うダルマを見て、今この話を続けるのはプレッシャーになるだろうと判断した荒木さんは、しばらくの間、アルバイトとして畑に来てもらい、ひと通りの作業を教えながら、ダルマの気持ちの変化を見守ることを決めた。それから数カ月後、ダルマの人柄や姿勢、そして才能に惹かれた荒木さんは改めて意志を確認した。

一方、荒木さんを通じて農業のイロハを学んだダルマは、独特の視点で農業に可能性を感じていた。ネパールでは家族だけでなく、常に大勢の友人、知人と密な関係を築いていたダルマは、日本に来た時、知り合いがひとりもいなくて孤独を感じた。

ネパールにいた時と同じように社会貢献がしたいのに、ひとりではなにもできない。家で子どもとふたりきりで過ごすうちに、日本でたくさんの人たちと関係を築けば、友だちになれば、この子の将来のためにもなると考えた。

「どうやったら町の人たちと交流ができるんだろう? 友だちになれるんだろう?」