社会的なダイバーシティを知る

翻ってマスクが義務化されている社会環境にあって着用するかしないかを自分で選ぶことは、完全に自分で自分の行動に責任を持つことでもある。そこにはもちろん社会的な責任も介在しているだろう。しかしもっと大事なのは、個人としてどうしたいかを述べる選択肢が与えられていることの大切さ、なのではないだろうか。

イギリスの厳しい規制下において、マスクをつけない選択をした約1割の人たち。彼らの選択の是非を問うよりも、その存在を知り、社会的なダイバーシティを知ることはとても大事だと思う。皆が同じ意見を持っていなくてもいいことを知る。むしろそれが自然の姿であり、意見を出し合い、互いに歩み寄って共生できる社会を構築していく。心を開いた話し合いであれば、それは決して痛みを伴うものではない。

日本では権威のある存在が言うことに耳を傾ける人が多いが、全ての事象には例外があり、それぞれに存在理由があるものだ。皆が同じ意見を持つ社会を想像してみてほしい。なんとのっぺらぼうであることか。歴史を見ても多様性を無視した社会は危険でさえある。

人の言うことに陰で文句を言いながらも、表立っては従ってしまうのは、自分の責任を放棄し、他人におもねり、自由を犠牲にすることにつながる。世の中には多種多様な意見があることを学び、それを互いに尊重できる社会が、健康な成熟した社会なのではないか。そのような社会を構築するには、人の言うことをうのみにするのではなく、何事も自分で情報を収集して自分の頭で考えることも大切になってくる。

筆者撮影
ロンドンの繁華街に軒を連ねるレストランは、屋外営業の許可がおりるとすぐに夕方以降の路上営業の許可を地方自治体に申請。外食を待ちかねた人たちで大にぎわい。

これは人生における全てのことに関わってくることだ。自分で物事を選ぶことは、人が生きる上で基本中の基本である。親があなたの人生を生きるわけではなく、先輩や友達が代わりに生きるわけではない。ましてや政府や学校が代わりに何かしてくれるわけでもない。自分の人生は自分のものであり、それを生きるのは自分だけ。そのことがわかれば、自分で選択していくことの重要性が、もっとクリアになるはずだ。

あなたは自分の人生を生きるのか。それとも自分の人生を他人の手に委ねるのか。新型コロナウイルスをめぐる一連の社会的な現象は、そのことを教えてくれているようにも思える。全て自分で選ぶことができる。そういう基盤に立つと、もっと自由に生きることができる。それが自分を大切にするということだ。

筆者撮影
イギリスの街角では無料の検査キットを配布する光景はどこでも見られる。

イギリスでは検査環境が整っており、症状があれば素直に簡易キットで検査し、陽性であれば自主隔離する姿勢が徹底している。特に飲食産業に関わっている人たちは症状のあるなしにかかわらずほぼ毎日簡易検査をして職場に迷惑がかからないよう努力している。ゆえに多くのデータがそろっていると見てよく、政府発表の感染者数の数字を安易に国別に比較するのは無理がある。イギリスでは国全体の感染対策が、冒頭でも述べたようにウィズコロナ的な共存方向へ向かっていると見ていい。その上で、多くのイギリス人はマスクをしない生活を続けている。

今、われわれは岐路に立たされているのではないだろうか。

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