子どもの頃から自分の意見を持つように教育される

筆者の周りにいるマスクを着けないイギリス人に話を聞くと、「息苦しいから」という答えが大半だ。もっと問い詰めると「面倒くさいから」と言う人もいた。自分にとって意味があると思えないし、むしろ害があると感じるというニュアンス。マスク着用派の人は、明らかにマスクの有効性を信じていること、またマスクそのものへの抵抗が少ないことなどがわかった。

面白いのはその中間の人たちで、周囲を気にしてマスクを着けているが、本当は息苦しいので着けたくない人たちは、鼻を出して着用している人たちがほとんど。いずれにせよ、自分の意思でそれを選んでいると感じる。

自分で自分の行動を選ぶことについて、この国はかなり進んでいると思う。親の意見は大切にするが、親そのものが「あなたの人生なのだからあなたが選びなさい」とアドバイスすることがほとんどでもある。

散歩や持ち帰り営業だけが許されていた昨年の厳しいロックダウン中の光景。ロンドンのフードマーケットは大にぎわいした観光スポットの一つ。
筆者撮影
散歩や持ち帰り営業だけが許されていた昨年の厳しいロックダウン中の光景。ロンドンのフードマーケットは大にぎわいした観光スポットの一つ。

イギリスでは、子どもの頃から自分の意見を持つように学校でも家庭でも教育される。学校では低学年の頃から自分の考えを他人と共有するために議論をする「ディベート」のクラスがある。自分の考えとは関係なく、真反対の立場に立って議論する模擬ディベートもある。

その過程で子どもは自分の考えを組み立て、相手に言いたいことを伝えるにはどうすれば良いかなどの技術を育んでいく。人前で話すのがうまいイギリス人が多い事実にはこんな背景があり、よく知る友人が結婚式などで感動的なスピーチをして隠れた才能に驚かされることもしばしばだ。

自分で責任を取る成熟したイギリス社会

他人と違う意見を持つことは、悪いことではない。これがイギリス社会にある根本的な考え方だ。他人の意見に耳を傾けると同時に、自分の意見を述べ、より良い結論へと導く。皆が同じ意見である必要がない。特にロンドンは生まれた国が違う人も多いので、そういった共通認識があるから暮らしやすいのかもしれない。

注意したいのは、自分で意見を持つことは、その意見に責任を持つことでもあると知ることだ。

日本では概して年上の人の意見を尊重するように育てられるので、なかなか自己責任の文化が育ちづらいという傾向にある。そのせいか「自己責任」という言葉に少しネガティブなニュアンスまであるようだが、イギリスでは大人なら自己責任が当たり前。自分の選択に責任を持つことが求められる。

また自分の言葉や行動に責任を持つことは、社会に対する責任にもつながっていく。近年声高に唱えられている持続可能な社会の実現について目標を掲げたSDGsなどは、社会で取り組むことでもあるが、その社会を構成する個人の行動や責任が大きく関わってくる。個人が動かなければ、世の中は何も変わっていかないからだ。大きな流れに身をまかせ、個人の意見を言わないでいることは自分のためにならないし、決して国のためにもならない。