新聞社の歴史は戦前からいまに至るまで通底している

新聞は「新聞社」という企業として、営利を追求するという面を有しています。

東京朝日新聞(のちの朝日新聞)主筆、副社長を経て、政界に入り自民党総裁へと上り詰めた緒方竹虎。(写真=作者不詳/Public domain/Wikimedia Commons

適正な利潤を挙げるのは当然ですが、営利追求意識が増大すると、上部構造の記事にさまざまな歪みをもたらします。

朝日新聞の副社長にして、内閣情報局総裁を務めた緒方竹虎(1888-1956)は、そうした意識を「新聞資本主義」と指摘しています。

進んで国家と結び、「もたれ合う」関係を形成し、それにより特権を享受し、組織の維持拡大を図ろうというとする主義を指します。

今年、コロナが猛威を振るう中、東京五輪が行われましたが、新聞各紙は主張こそ分かれたものの、大きな流れでは開催にネガティヴでした。しかし、いざ開催されると紙面は「ニッポン頑張れ!」一色。五輪の公式スポンサーになっているのだから仕方のない話です。

部数減が顕著となり、廃、休刊さえちらつく各新聞社は、読者の気を引く、あるいは喜びそうな話ばかりに傾斜し、気が付くと気骨ある主張を続けることができなくなっていました。

新聞の「終えられない戦争」

10月15日からは「新聞週間」ということで、各紙、新聞の素晴らしさを謳い上げていましたが、現実は日頃、彼らが軽佻浮薄と見なすネットメディアやSNSの書き込みと大差はありません。

里見脩『言論統制というビジネス』(新潮選書)

これが新聞の「終わらない昭和」「終えられない戦争」の結果なのです。そういう意味では新聞の歴史は終戦を境に戦争との断絶があるわけではなく、いまも継続しているのです。

ただ、こうした新聞を作ってしまった責任の一端は私たち読者にあることも付言しておかなければなりません。

哲学者ヘーゲルは「過去を学ばない者に未来はない。過去の過ちの繰り返しがあるだけだ。過去を学んだ者だけが、繰り返しを脱して、未来の扉を押し開けることが出来る」と言いましたが、いま改めてこの言葉を噛みしめる必要があると思います。

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