10年ごとに3倍60年の経営計画

でも、買収騒動は、まだ終わらない。今度は逆に買収する案が出て、相手も応じた。だが、相手の社長は主な社員と取引先を引き連れ、別のグループへ入ってしまう。残ったのは、工場と百数十人の従業員だけ。売り先がないから、すぐに赤字へ転落した。従業員を減らし、中国で箱をつくり、タイで扉をつくらせて組み立てる方式を採用したが、送ってきた製品の半分が不良品。チェックをしないで輸入した側に責任があるとされ、木工メーカーは、またも赤字を抱え込む。

やむなく資金を貸し続けたが、累計額が16億円になったとき、監査法人に「もう、その会社を整理しなさい。そうでないと、監査の印を押さない」と宣言される。この経験で「海外で質のいいものを手に入れるには、自分で生産するしかないな」との思いが、いっそう募った。

思いは、94年に現実となる。インドネシアに30億円を投じ、撤退を決めた日本企業の工場用地を買い取り、系列化した旭川の木工メーカーの工場とする。海外製品の直輸入の拡大、品質の向上、木工メーカーの再建――懸案を一気に解決させるための「不謀於衆」だった。

21世紀に入って、ハノイにも家具工場をつくり、台湾に海外1号店を開く。2010年は、持ち株会社ニトリホールディングスを設立した。部門ごとのコスト、収支を明確にするために、物流の新会社もつくる。今度はすべて、明快な狙いがある。「60年計画」の後半への、布石だ。

前回紹介した72年のアメリカ視察から生まれ、翌年に始まったのが、60年にわたる経営計画だ。2002年までの前半30年は、「地域一」から「日本一」への飛躍を目指し、全国に100店、売上高1000億円の目標を掲げた。1年遅れはしたが、03年に達成する。

似鳥流は「10年ごとに3倍」の成長ペースが基本。後半30年の計画をみると、最初の10年が終わる12年に300店にする目標で、真ん中の10年が終わる22年には1000店、最終年の32年は3000店と、ほぼ3倍ペースが続く。売上高も、3000億円、1兆円、3兆円と、同様に目論む。

当然、視線は世界へ向いている。跳躍台はグローバル店舗網。すでに米欧で試験販売を始めた。いずれ、世界中に広げる。鍵となるのは人材だ。近年は大学新卒を年に300人ほど採用してきたが、11年は330人にした。中途入社も毎年、50人は採る。欧米人も、増やしている。でも、急ぎすぎてはいけない。

「60年計画」が完了するとき、88歳になっている。社長は辞めても、会長か相談役で残っているかもしれない。商品づくりも含め、すでに権限委譲を進めている。社長業のバトンを渡す候補者も、数人はいる。世界のことをみながら、10年先を予測し、それに一致させていくのが、今後の自分の役割だ。

大切なのは、企業文化の継承だ。できそうもないことに挑戦していく意欲、目標を達成するまで諦めない執念、常に新しいものを発見しようとする好奇心。それらを兼ね備えた社風。「お客さまに買い物を楽しんでいただき、豊かさを味わってほしい」という創業の精神と、ひたすら安さを追求する「ニトリ憲法」が、それを支えていく両輪だ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)