「論破」よりも大切なこと

こうした事実をテレビやSNSなどで相手の顔色を窺わずに語っていると、「論破した!」と周りが盛り上がることがあります。でも、実を言うと、僕自身は「論破」という言葉をほとんど使いません。

僕は、会社勤めをしているわけではなく、わりと自由に使える時間があります。フランスに住んでいるので、日本を客観的に見ることもできています。英語の論文やニュースなどもそこそこ読めます。

そんな僕の役割は「論破」よりも「投げかけること」だと思っています。

ひろゆき『ひろゆきのシン・未来予測』(マガジンハウス)

勉強不足のおかしな評論家や、スポンサーに忖度するメディアが一方的に話すことではなく、データに基づいた事実や予測を伝え、それを受け取った人が自分で考えたり、疑問を持ったりして、そこからいろいろな討論に発展していけばいいと思っています。

つまり、論破(と言われているもの)は、あくまで過程なのです。間違いを指摘したうえで、僕の考えや見立てを投げかけていく。そうした後半部も大切にしたいと思っています。

僕が自分なりの目線で未来を語るのは、みなさんに「考えるきっかけ」を提供したいという思いからです。それによって、縮小していく日本においても幸せな未来をつかめる人が一人でも増えるといいなと考えているのです。

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