「当たり」「はずれ」はすぐにはわからない
こういっちゃなんだが、今の韓国人夫は複雑な家庭に生まれ育ち、親は早くに離婚、彼は高校だけ出て繁華街でその日暮らしのバイト生活をしていたら、プチ有名な日本オバサンに見初められてしまったのだ。
思えば夫は、当たりはずれで判定できない、とんでもないガチャを引いてしまったものだ。ポケモンのガチャをしたら、カプセルから本物の怪物が出てきてしまったのか。
あくまでも金銭的なことだけをいえば、夫は明日をも知れぬ貧乏暮らしから、ちょっとした贅沢や娯楽がある生活になれた。ただし、18歳も年上の妻はあちこちで顰蹙を買い、時に韓国にまで悪名が轟くという、もらい事故や延焼からも逃れられなくなっている。
このように、当たりはずれも後になってわかる、評価が分かれる、しばらくして結果が変わることもたくさんある。実は自分の親は当たりだったと、死後にわかることもある。
思いがけないものとの出会いが楽しい
さて、親ガチャなる言葉があるとすれば、子どもガチャもあるはずだが、こちらはさらに反発や反感を招く言葉、概念である。
ちなみに私の妹は、私とは真逆の良妻賢母だ。しかし世間の見方は、分かれてしまう。
うちの親に対し、「妹さんはまともなのに姉はあんな変になって」と、はずれた姉を持ったことに同情する人もいれば、「妹は一般人だが、姉はちょっとした有名人になった」と姉のほうが当たりとする人もいるのだ。
うちの親は子に当たりはずれなんて言葉は使わないが、妹のほうは予想した通りのものが出てきた、と見ているようだ。姉である私は、まさかこんなものが出てくるとは……。と自分らの中に装填されていた思いがけないものに驚いているようではある。