ボランティア活動で社会の裏側を知る
まもなく娘を授かり、子育てに励む日々が始まる。子どもの記憶にお菓子の香りが残るようにと思い、お菓子作りを徹底して勉強。児童心理学や発達心理学を学ぶため、大阪大の大学院で科目履修もした。すると、その教授に声をかけられ、ボランティア団体を手伝うことに。事件や事故で亡くなった被害者家族の心の支援をする活動だった。
「私にとってはとても意味があることでした。それまでは仕事でも社会の表側というか、光があたる世界だけ見ていたけれど、その裏側にある影の部分を見ることになったのです。本当は私、ものすごく暗いんですね。ずっと自己肯定感が低く、ダメな人間だと思ってきた。それを何となく隠したまま表の世界で生きようとしていたけれど、ボランティアに関わることで、自分が抱える心の問題にぐっと引き戻されたというか……」
台風の日に裸足で家を飛び出す
専業主婦として、母親として、思い描いたような豊かな家庭。だが、日々の生活は気の休まる時もなかった。二世帯住宅で、同じ屋根の下で暮らす嫁姑の関わりに苛まれていく。義母は家事のやり方をこと細かに指示し、買い物の大根の大きさまで厳密だった。洗濯物の干し方や掃除の掃き方が悪いと注意され、妊婦検診で胎児の発育が遅いことを親の責任と咎められる。24時間緊張が続くなかで心は疲弊していった。
「義母が言うことは正しいし、立派な人なんです。私もできない嫁だったから、自分が悪いと思ってしまう。夫に『おまえが暗いんじゃないか。気にしなければいいじゃない』と言われれば、その通り。こういう発想になるのも私のせいだからと思うと、実家にも相談できなかった。だんだん自分が追い込まれていき、鬱っぽくなっていたのだと思います。気がついたら、9月の台風の日に裸足で着の身着のままで家を飛び出していたんです」
いったいなぜ飛び出したのか、まるで覚えていない。わずかに記憶しているのは、降りしきる雨の中をひたすら走っている自分の姿。車で追いかけてきた夫が「乗れ、乗れ!」と引き留めても、振り払って走り続けた。目指したのは娘が遊びに行っていた友だちの家。事情を話して、しばらく身を寄せていた。中原さんはその後の顛末をこう語る。