言うまでもなくメルケル首相は東ドイツの出身だ。父親のカスナーはベルリン出身だが、1954年、東ドイツの人々が雪崩を打って西に移動していた頃、わざわざ勤務先であった西のハンブルクから東ドイツに戻っている。東独時代は社会主義の未来を信じ、体制とうまく折り合いをつけながら、聖職者として東ドイツの政治に深く関わった。教会関係者の間では、「赤いカスナー」と呼ばれていたという。

その後、ドイツ統一で西側にのまれ、理想の社会主義国実現の夢が壊れた後は、SPDに入党し、娘がCDUの党首になっても、妻とともに生涯SPDの党員であり続けたという。要するに生粋の社会主義者だ。

メルケル氏は、そんな政治的な家庭に育ち、東西統一のその時まで、一切政治とは関わりなく生きてきたという。しかし、ベルリンの壁の崩壊で政治に目覚め、東西ドイツ統一の混沌の中に彗星のように現れる。まもなくCDUのコール西独首相にその才能を買われ、統一後のコール政権では家庭大臣に就任。保守政治家メルケルの誕生である。

そして、そのメルケル氏の政策が、彼女の政治力が安定した頃から急激に左傾化していくのだ。なぜ? それは、メルケル氏が辛抱強く紡いできた壮大なシナリオの一環だったのではないか? 

メルケル氏を失うドイツは、正念場を迎えている

そう思い始めると、ラシェット氏が、メルケルという大黒柱の抜けたCDUを維持できないかもしれないことも、SPDがその間隙を縫って不死鳥のごとく復活するかもしれないことも、いわば想定内だったのかとさえ思えてくる。ひょっとするとメルケル首相は、東西ドイツの統一以来31年、このシナリオに沿って、着々と進んできたのではないか?

複雑怪奇な監視網の中で生き延びてきた両親を見ながら、尊敬する父親カスナーの社会主義理念を空気のように吸って育ったのがメルケル氏だ。状況への適応の仕方、沈黙、緻密な分析と予測、言質を取られない高度なレトリックなど、ありとあらゆる「技術」を、やはり空気を吸うように身につけたことだろう。彼女はそれらの能力を全て駆使して、これまでの一切の試みを超える理想の社会主義の完成を目指しているのではないだろうか。

ただ、国民にとってのメルケル氏は、今もCDUというヨーロッパ最大の保守政党の政治家だ。まさか、その思想の根底に社会主義思想が隠れているかもしれないなどとは夢にも思わない。しかし、現実としては、CDUは今、長年、良き連立相手であったSPDに政権を明け渡しかけている。

将来のドイツは、SPD政権となって左派の道を進むのか、あるいはCDUが政権を維持して保守に立ち戻るのか。まさか、再び大連立に落ち着くとは思えないが……。今、メルケル氏を失うドイツは、正念場に差し掛かっている。

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