要介護状態に
3カ月後、父親は精神科を退院。
父親はその事件以来、自分のことを自分でできなくなった。精神疾患は症状に波があるため、それまでもうつ病の状態が悪いときは、食事やトイレ、入浴など何もできないときもあったが、事件以降、ベッドからほとんど動けなくなった。
一般的に介護というと、加齢による認知症や脳疾患で始まるケースが多いが、井上さんの場合は、精神疾患によって始まった。まだ60歳だった父親は、退院すると同時に、自宅で精神障害者居宅介護等事業のヘルパーと、自立支援医療(精神通院医療)の訪問看護師にサポートをしてもらいながら生活することになった。
井上さんは、仕事に行く前と帰宅後、必ず父親のマンションへ寄り、食事の準備や洗濯、掃除、そして傾聴を行った。
「父は、1日の中でも気分の浮き沈みが激しく、いつ機嫌を損ねるのか、また前みたいに包丁を持ち出すかと常にひやひやしていましたが、何より苦痛だったのが傾聴でした。1日中カーテンを締め切って、昼間でも暗く、夜になっても明かりもつけない真っ暗な部屋の中で、『死にたい』『お前なんか死ねばいい』『誰も心配してくれない』『誰も大切にしてくれない』など、私自身も闇に飲み込まれそうな言葉を聞き続けなければなりませんでした」
就職してから井上さんは、時々体調を崩すようになった。「体調が悪いからしばらく行けない」と父親に告げ、回復するまで母親が代わりに行ってくれることになったが、やはり母親と接すると父親はすぐに攻撃的になる。
そのため父親は、「なぜ来ない?」と毎晩電話をかけてくるが、仕事が忙しく、体調の悪い井上さんは、それを無視。すると数日後、夜中に突然自宅まで押しかけてきて、玄関で「鍵を開けろ!」と父親が叫ぶ。
気が弱く、世間体を気にするあまり、外ではおとなしい父親だが、他人の目がない家の中だといよいよ手が付けられなくなる。そのため井上さんは、仕方なく自分が玄関の外に出て、父親の興奮状態を落ち着かせながら、「今日で体調はだいぶよくなったから、明日から行くようにする。今後は体調が悪くても行くから」と言い、謝罪の言葉、父親を肯定する言葉などを何度も伝えると、1時間後にはようやく納得して帰って行った。
「いつも、『私がなだめて落ち着かせなければ、母やご近所、他人に迷惑がかかる。事件になってからでは遅い』そう思っていました」
父親の身長は180cm近くあり、体重は80kgちょっと。腕力では、女性の井上さんや母親ではかなわない。父親が興奮状態に陥り、危害を加えてきたとき、命の危険を感じたときは、迷わず警察を呼ぶように努めた。
「普通の実家暮らしの成人した娘が、親に何でもやってもらっていると、『甘え』に見えるかもしれませんが、母が父の介護をすると父が攻撃的になるので、父の介護はほぼ私。母は私の食事や洗濯など、生活のサポートをしてくれています。父には結構な借金がありますが、働けない状態なので、私と母で生活費を切り詰めて返済しています」
父親の借金、介護費用、生活費……。22歳で就職したばかりの井上さんは、それでなくても仕事で時間がない上に、父親の世話で自分に使える時間はない。加えて、自分が懸命に働いて稼いだお金が父親のために消えていく生活に、やるせなさや憤りを感じていた(以下、後編に続く)。