もしモンゴル帝国が成立していなかったら
地続きの高麗に対しては、モンゴルは非常に高圧的だった。高麗の王室は、元に完全に取り込まれてしまいます。これは源実朝を懐柔して鎌倉幕府を支配しようとした後鳥羽上皇と同じ政策ですね。モンゴルの皇帝も、高麗の王様をそれなりに厚遇して抱き込んでしまい、そうして高麗を支配しようとした。
しかしそこで、武人政権は徹底的にモンゴルに対立する。この流れもまた、実朝をみずから殺してしまった鎌倉幕府と似ています。
当時、高麗には三別抄と言って、3つの独立した軍隊があった。
別抄とは軍隊の意味で、もともとは、左の別抄と、右の別抄。そしてモンゴルから脱走してきた兵「神義」からなる3つの軍が、武人政権のもと別個に独立した動きを見せていた。
しかしそれらが力を合わせて三別抄を名乗るようになり、モンゴルとの戦いを繰り広げる。そのとき、三別抄から日本に対して「一緒に戦おう」という連携の手紙が来ています。しかしけっきょく三別抄はモンゴル軍に負けて解体されてしまう。結果、武人政権自体が完全に解体されることになります。モンゴルは、地続きの高麗の武人政権は認めませんでした。
一方、海をはさんだ日本の武人政権は、北条氏のもとで生き残った。このあたりから日本と韓国の歴史は分岐し、それぞれ違う流れをたどっていくことになりました。
もしも仮にモンゴル帝国が成立していなかったら。日本と朝鮮の歴史は似た展開を続けていたかもしれません。しかし地続きであることと、島国であることの違いが流れを変えた。このことは、地政学的な条件がどのように歴史に影響をおよぼすか。その大きさを、教えてくれていると思います。