北条氏は現代で言えば「エクセルを使いこなせない人」

もし当時の北条氏に教養があって「元は立派な国だ。使いを派遣しよう」と考えて実行していれば、皇帝フビライは「よし、お前を日本の王様として認めてやろう。これからもちゃんと挨拶に来るんだぞ」と、北条氏を日本の王として承認した可能性が高い。

その上で北条氏が船を派遣すれば、こちらの届けた品に対して、だいたい10倍と言われるお土産をお返しで持たせてくれた。大儲けですから、ますます船をやりとりするわけで、そうすると日元貿易はどんどん盛んになる。となると、貨幣経済がどんどん進んでいたことと思います。

モンゴル帝国の地図
写真=iStock.com/iSidhe
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ただし気をつけるべきことがあります。貨幣経済が進むと、一般的な武士は貨幣経済の流入についていけなくなる。現代で言えば、「エクセルを使いこなせない人」のように世の流れに取り残されていくことになります。そうした武士が増えると、鎌倉幕府は滅びる。だから、もし北条氏にもっと教養があれば、鎌倉幕府倒壊が、より早まった可能性がありますね。

似たような状況に置かれていた日本と朝鮮

それともうひとつ、これは違う話ですが、実は日本と韓国──当時は高麗ですが、このふたつの国の歴史は、ここまですごく似た展開をたどっていたのです。

日本の場合は、平清盛という武士が現れて朝廷の実権を握った。その後の源頼朝は、朝廷の実権を握ったと言えるかどうかはわかりませんが、日本全体からすると、非常に重要なポジションにいた。

いっぽう高麗の場合も、この時期にやはり武人政権が生まれているのです。朝鮮という国では、文が上で武が下。だから武人の政権は基本的にあり得なかった。

しかし当時、武人が自分の土地──日本で言えば荘園のような──を基礎にし、軍隊の力で朝廷の中で発言力を高め、そして実権を握るということをやっている。

崔忠献(さいちゅうけん)(1149―1219)という武人が代表的な人物ですけど、この人は日本でいえばまさに平清盛にあたります。その後、崔氏が世襲的に実権を握りますが、これはまさに鎌倉幕府です。この時期、ふたつの国が似た歴史をたどっていたのですね。

しかしその流れがどこで分岐したかというと、モンゴルです。