発掘どころか立ち入りも許されない陵墓

さらには全国に896あり、歴代天皇をはじめ皇室の祖先の墓とされる陵墓も文化財保護法の対象外になっている。この問題は、これまで国会でも取り上げられてきた。

「古墳の学術目的の調査に対して非常に大きな壁となり、史実等の解明の支障となっている」(2012年、吉井英勝衆議院議員)

「我が国の古代史においては未解明の部分が多く、陵墓の持つ学術的価値が高いにもかかわらず、宮内庁の管理の下、陵墓への研究者等の立ち入りは厳しく制限されてきた」(2018年、津村啓介衆議院議員)

陵墓が史跡に指定され、学術調査の対象になれば、日本の古代史は書き換えられるかもしれない。発掘どころか立ち入りさえ拒む宮内庁の姿勢に、考古学者や歴史研究者の批判は根強い。

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ちなみに2019年に世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市の古墳群」も例外ではない。文化財に指定されないまま世界遺産に推薦されているのだ。

宮内庁は、所蔵または管理する歴史遺産、文化遺産についての指摘や批判には聞く耳を持たず、「十分に管理しているので、文化財の適用は不要」という趣旨の説明を一貫して繰り返している。

作品の価値をわかりやすく示すことの意義

宮内庁のかたくなな姿勢に、三の丸尚蔵館の収蔵品の国宝が指定されることで、風穴が開くだろうか。

ここで三の丸尚蔵館の収蔵品の由来を確認しておきたい。昭和天皇の没後、遺品のうち御物のまま遺族に継承された品以外の、国庫に寄贈された美術品など約6000点が収蔵されたのが最初で、その後、1996年に秩父宮妃、2001年に香淳皇太后、2005年に高松宮妃、2014年に三笠宮崇仁親王と、それぞれの遺品が寄贈された。

その価値について、宮内庁三の丸尚蔵館収蔵品の保存・公開の在り方に関する有識者懇談会の第4回における「提言」は、こう記した。

「三の丸尚蔵館の収蔵品は、教科書等にも登場するような優れた貴重な作品が多くあるが、それらは、文化財保護法上の国宝又は重要文化財の指定を受けておらず、多くの人々にそれら作品の価値を分かりやすく示すことになっていない。一方、多くの人々にとっては、国宝や重要文化財に指定されることが、文化財の価値判断の基準として広く理解されている」

これを受けて宮内庁と文化庁が協議し、はじめて5件が国宝に指定されることになったのだが、「作品の価値を分かりやすく示す」という視点は重要だ。

昨秋、東京国立博物館平成館で開催された特別展「桃山——天下人の100年」には、狩野永徳の作品として、このたび国宝に指定される「唐獅子図屏風」と「檜図屏風」(東京国立博物館蔵)が並んで展示されていた。

しかし、後者は「国宝」と明記されていたのに、前者にはそうした表記がなかったから、入場者の多くは、「唐獅子図屏風」のほうがずっと有名でも、「檜図屛風」にくらべれば価値が劣ると勘違いしたのではないだろうか。