実は、皇室が私有する絵画や書跡、刀剣などの「御物」や、宮内庁が所蔵または管理する文化財や歴史遺産は、文化財保護法にもとづく国宝や重文、史跡などの対象外なのだ。同法に明文規定こそないが、この慣例は戦前から長く踏襲されている。

芸術新潮編集部編『国宝』(新潮社)に収められた小論「『国宝』という物語」に、評論家の松山巌氏はこう書く。

「(1929年制定の)国宝保存法にあっても、皇室が所有する、いわゆる御物は指定から外されている。そして御物を国宝から外す措置は戦後の文化財保護法でも暗黙のうちに踏襲されている」

戦後、御物の一部は国有財産になったが、宮内庁が管理しているかぎりは、やはり指定から外れてきた。だから今回、宮内庁所管の文化財が国宝指定されたのは異例だといえる。

これまでは1997年、東大寺にありながら宮内庁が管理している正倉院正倉が国宝に指定されたのが、ここ数十年間の唯一の例外だった。

ただ、そのときは特別な事情があった。「古都奈良の文化財」がユネスコの世界文化遺産に登録されるにあたり、正倉院正倉は「登録物件が所在国の法律で文化財として保護されている」という条件を満たしていないため、除外されそうになったのだ。

このため、正倉1棟が急ぎ国宝に指定されたのだが、その際も宮内庁は「あくまでも正倉院正倉は例外」と釘を刺した。正倉の収蔵品だった天平以来の貴重な宝物の数々は、いまも御物なので原則非公開であり、1点も国宝や重文に指定されていない。

整備が十分に行われていない歴史遺産

宮内庁の管下にあるため文化財保護法で保護されない歴史遺産も多い。京都御所や桂離宮、修学院離宮は、建物が国宝でも重文でもないばかりか、名高い庭園も名勝や史跡の指定を受けていない。

旧江戸城に現存する建造物も同様だ。環境庁が管理する外桜田門、清水門、田安門は重文指定を受けているが、宮内庁が管轄する皇居とその周囲は、事情がまったく違う。天守焼失後は代用天守とされてきた三重の富士見櫓をはじめ3棟の櫓、一層の多門櫓3棟、それに平川門や内桜田門、旧西の丸大手門(皇居正門)など数棟の門、3つの番所は、いずれも一切の文化財指定を受けていない。

京都御所や桂離宮、修学院離宮は、文化財保護法による管理外にあるため、適切な修繕が行われていないことがたびたび問われてきた。2017年には自民党行政改革推進本部が、「整備が必ずしも十分に行われておらず、経年劣化により美観が損なわれている施設がある」と指摘している。

皇居京都御苑の門入口の外観と近くを歩く人
写真=iStock.com/ablokhin
※写真はイメージです