仲間の様子からも危険を学ぶ
嫌悪学習は、サル以外の動物ではほとんど見られない特別な形式の学習です。高等な動物として自分の身の安全を守るため、高等な学習が進化したのだと考えられています。この習性はむろんヒトにも受け継がれています。しかし、ここでひとつ疑問が湧いてきます。
なるほどアーモンドのように、その効果が命を脅かすほどではない有害刺激であるならば、この学習で危険を回避することができます。けれども、致死的な刺激だったらどうでしょう。たとえば毒キノコだったら? 現にキノコはサルの大好物です。
それを口にしたら、致死量の毒を含むものだったとします。当然、一度きりの経験でサルは死んでしまいます。そうしたら、その経験をサルは嫌悪体験として、そののちの学習に活かせません。もう死んでしまうのですから。
実はこういうことのために、嫌悪学習には、通常の学習にはない第三の特徴が備わっていることが明らかにされてきました。仲間を観察するだけで学習できるという点が、それにほかなりません。この実験には、サルにとってのもうひとつの有害刺激が用いられました。ヘビです。
ヘビはサルにとって、最大の天敵といわれています。しかし、意外なことにヘビを今まで見たことのないナイーヴなサルに見せたところで、特段驚くことはありません。それどころか実験室で生まれた子ザルでは、好奇心をもって近づいていくことさえあるほどです。
むろん野生のオトナのサルにヘビを見せると怖がります。だから、どうにかしてそれが危険な存在であることを学習したと考えざるを得ない。そこでヘビを怖がるサルを実験室に連れて来て、怖がらない子ザルの面前で、ヘビを見せてやるということを、実験として行ってみることにしました。すると案の定、こののち子ザルもヘビを見て、怖がるようになることがわかったのです。やはり一回きりの実験で学習し、しかも効果が持続する点も先のアーモンド実験と変わりません。
ただ、今回のヘビの実験結果がアーモンドでのものと異なるのは、ヘビの実験での子ザルは自分自身で嫌悪的な体験をしたわけでは全然ないという点にあります。面識のない同種の仲間がヘビを見ているところに、遭遇しただけ。しかしたったそれだけで、ヘビを有害なものと認識してしまったのです。
こういう形式の学習は、「観察学習」という名称で知られていますが、ヒト以外の動物で観察学習が観察されるのはおおよそサルのみ、しかも天敵の認識のためにのみ、と考えられています。実際のところ、野生下ではこういう形式で、ヘビを天敵と認識することが群れのなかで伝搬していっていると考えられます。
恐怖はテレビ映像でも学習される
アメリカで大学教授をしているスーザン・ミネカという研究者は、こうした知見をふまえ、もっと面白い実験をしました。ヘビを怖がることをまだ学習していない子ザルにテレビモニターでビデオを見せたのです。そのビデオに何が映っているかというと、面識のないオトナのサルがヘビを見せられるシーンが録画されています。むろん、このサルはヘビへの嫌悪学習が成立しています。
先ほどの実験では、子ザルは目の前で仲間がヘビを天敵とみなすことを「実体験」したわけですが、今回はテレビモニターのなかの映像で、ヴァーチャルな体験をするわけです。ちなみにビデオ映像を見ることそのものが、このときが子ザルにとって初めての体験でした。すると初めての体験であるにもかかわらず、子ザルには実体験同様に嫌悪学習が成立したのです。
しかも映っている映像を見ると、そのなかのオトナのサルというのはヘビに対し、そんなに大仰に恐怖を示したりしているわけではないのです。顔を引きつらせる程度で、その顔がヘビに向けられている。それだけで子ザルは、「これは天敵だ」とヘビを認識してしまうのです。
むろん実体験よりは効力の持続性が短いことは、否定できない事実です。しかし3カ月やそこらは学習効果が有効であることがわかりました。嫌悪学習というのは、それでいいわけです。「毛ほどでも身に有害な可能性が残るなら遠ざける」というのが、生物生存の鉄則なのです。こうした習性は当然ながら、人にも受け継がれています。