対照的だったのは、幸徳秋水。幸徳は、日露戦争が開戦される前年の1903年に「平民新聞」を創刊。非戦論を訴え続けた日本の最初の社会主義者の一人だった。しかし、激しい弾圧を受け続けるなかで思想が過激化し、明治天皇の暗殺を企てた大逆事件の首謀者の一人として検挙され、1911年に処刑された。

しかし、戦後に発見された数々の資料を通じて、自由主義者や社会主義者の一掃を図っていた当局が、幸徳に濡れ衣を着せたことがほぼ確実な状況になっている。

国全体が太平洋戦争へと駆り立てられた反省から、戦後の日本人は異なる国家観を作りあげようとした。その象徴が国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が三大原理として定められた日本国憲法だろう。

海外メディアは「日本は反省していない」と報道するが…

日本国憲法は「平和憲法」とも呼ばれる。憲法の前文および第9条で規定された平和主義に由来するものだ。

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かつて取材した零戦パイロットの原田要さん、硫黄島で戦った金井啓さんをはじめとする、太平洋戦争から生還した元日本兵の方々の多くは、すでに天寿をまっとうされた。原田さんも金井さんも、晩年は太平洋戦争の悲惨さを伝える語り部を率先して務めた。

よく海外のメディアは、日本は反省していない、戦争の教訓を学んでいないと報道するが、これは完全に間違っていると私は思う。確かに日本はドイツほど、日本帝国主義の被害を受けた国に謝罪していない。しかし、日本も日本なりに、あの戦争の教訓を生かしてきた。それは、日本国憲法の平和主義に反映された、二度と戦争は繰り返さないという決意である。

それだけではなく、宗教と政治を混ぜた、究極の力を持っていた明治国家への反省として、国家の力に対して、戦後の日本社会は警戒心を抱き続けた。

二度と戦争をしない決意は、社会党や他の野党だけではなく、ずっと与党の座についていた自民党も見せていた。軍事予算はGDP比1%以内にほぼ抑えており、自民党の歴代総理大臣は、憲法維持を明言してきた。

憲法前文を「みっともない」と評価した安倍元首相

それまでにない動きを見せたのは元首相の安倍晋三氏だ。

06年9月に行われた自民党総裁選に出馬した安倍氏は、施行から60年を迎えようとしていた日本国憲法を改正する公約を掲げた。52歳で、なおかつ戦後生まれで初めて内閣総理大臣に指名された直後の臨時国会では、改憲に対する持論を答弁している。

「現行の憲法は日本が占領されている時代に制定され、60年近くをへて現実にそぐわないものとなっているので、21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を、憲法として書き上げていくことが必要と考えている」

安倍氏は1993年7月の総選挙で初当選を果たしたときから、改憲の意向を明言。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が謳うたわれた日本国憲法の前文を「敗戦国のいじましい詫び証文」「みっともない」と発言したこともある。