コロナは「戦争」なのか、「難民」なのか

【池上】マッチョな政治家ほど「戦争」と言いたがりましたね。アメリカのトランプ前大統領は「戦時大統領(wartime president)」と名乗り、フランスのマクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と言いました。中国の習近平国家主席はこの闘いを「人民戦争」と称しました。

「戦争」をメタファーにした途端、「戦争には犠牲がつきものである」という話になる。そうなると「死者が出ても仕方がない」といった意識が出てくる。感染して亡くなった人は「戦死」、感染してしまった人は「敵方の捕虜」のように思われて、感染者に罪はないのに「ごめんなさい」と謝ったり、周囲から差別を受けたりする。これらはみな、「戦争」のメタファーによって喚起される意識や感覚です。

【伊藤】イタリアの小説家、パオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』(早川書房、2020年)の中で、コロナは結局のところ「難民」なのだと言っています。コロナにかぎらずウイルスはみな、自分たちの本来の——たとえばコウモリやハクビシンの体——があるのですが、人間の環境破壊によって宿主の動物も本来の場所に住みつづけることができなくなって、新しい住み処を探すうちに人間の生活圏にどんどん進出してきているというのです。コロナもそうやって行き場を探している「難民」なんだと。だから今回のパンデミックも、「難民が引っ越しをしているんだ」と彼は言うわけです。

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NZ首相にとってのコロナ対応は「思いやり」だった

【伊藤】コロナを「戦争」の敵と捉えるのと、住み処をなくした「難民」と捉えるのとでは、対応は大きく変わるはずです。そう考えたとき、世界のリーダーたちが示した「戦争」のメタファーは、はたして正しかったのか、大いに疑問です。

目の前の状況をリーダーがメタファーで語ることとは、世界観を提示することにほかなりません。そのことにリーダーはもっと自覚的であってほしいし、私たちもその使用に慎重に向き合わなければならないと思います。

【池上】そのいっぽうで、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、「私たちに必要なのは思いやりです。みなさんにお願いしたいのは助け合うことです」と言いました。彼女にとってコロナへの対応は、戦争や闘いではなく、「思いやり」や「助け合い」によってなしうることだったのですね。これは大きな違いです。

「男は」とか「女は」とか言うつもりはありませんが、世界を見渡すと、マッチョなリーダーが戦闘モードを打ち出したところでは、コロナ対策はあまりうまくいかなかったように見えます。それに対してニュージーランドや台湾など女性がリーダーのところでは、比較的うまくいっている傾向があるのではないでしょうか。「戦争」というメタファーで表現した先に、何か綻びが生じるのではないかと私も思います。