ヘッドハンティングされ転職

一方、田澤さんにもしたたかな面があった。学歴やスキルでは勝負にならぬと、資料のファイリング、冠婚葬祭の準備、誕生日プレゼントの手配などの雑用を率先して担当。生年月日を覚え、送った誕生日プレゼントを記録し、各役員や社長には「そろそろ○○さんのお誕生日だと思います。昨年は○○を贈っておりますが、いかがいたしましょうか?」など自ら話しかけるようにしたところ、周りから頼りにされるようになった。

しかし、尊敬していた役員が退任。がっくりしていたところ、役員受付で知り合った気鋭の人材会社の社長からヘッドハンティングを受けて転職することになった。その社長を慕って集まるベンチャー企業の社長と交流する機会を得て、業界との繋がりもできてくる。彼らと話をしているうちに、「自分が誇れる商品を売っている会社で、マーケティングに携わりたい」という気持ちが芽生えはじめた。

あこがれのソニーで商品開発

そこで自分が誇れる商品をとひるがえってみたところ、あらためて気付いたのは「ソニーの商品が好き」ということ。そこでソニーを目指し、一度は落ちたものの、1998年に再トライして、アシスタントとして入社した。

「アシスタントは本来、企画を出したりはしないのですが、商品を作りたくてうずうずしていたので企画書を出しまくったんです。そうしたら、当時の上司に『そんなに企画が好きなら、アシスタント業務と企画を両立できるか?』と言われ、商品開発にも携わるようになったんです」

インターネット黎明期の90年代後半からゼロ年代にかけて、次々に画期的なデジタルデバイスを発表していったソニー。しかし、業績が良くなるほどに「あれはダメ、これはダメ」と自由度がなくなってきた。またもや「面白くないな」と思った田澤さんは、「ここでは、5年後の自分が見えない」と退社した。

博報堂に勤めていたころの田澤恵津子さん(写真=本人提供)

2002年、今度は化粧品のマーケティングを手掛けてみたいと、ヘルスケア商品の外資系メーカーに入社する。しかし、マーケティング戦略を本国で決める外資系企業では、日本でできることが少ない。3度目の「面白くないな」が頭をよぎる頃、出入りしていた博報堂の担当者から、「そんなに化粧品をやりたいんだったら、うちで化粧品のチームを立ち上げるから来ない?」と声がかかった。

そして博報堂に入社して2日目、いきなり「大手有名ホテルが新しくオープンするホテルのコンペがあるから、行ってきて」とプレゼンを任されることになった。

「広告代理店のプレゼンはやったことがないし、無理だと思ったんですが、プレゼン会場に入った瞬間、『このプレゼン、もらったな』と思いました」