無理してまでつづけていくべき関係性なんてない

現在、日本には約1億2000万人が生活しています。

写真=筆者提供
(左)サバの味噌煮と炊き込みご飯。魚より肉派の彼女にも美味しく食べてもらえるよう色々工夫しています。(右)豚の煮物です。煮物は時間がかかって忙しい人にはハードルが高いのでヒモ(暇人)が真っ先に覚えるべき料理です。

つまり、仮に1000人に会ったとしても、1億1999万9000人に会うことはないまま僕の一生は終わっていくわけです(こうしている間にも日本中で人が死んで生まれているわけなので、会えない人はもっと多いはずです)。

日本にかぎった話でも約1億1999万9000人倍「自分が一生会わない人」がいて、そのなかに相性がよかったりタイプの人がいたりすることになります。

これはすごい確率ではないでしょうか。

この数を見るに、僕はこれまで自分が会った人のなかだけで考え、疲弊したり無理をしたりしてまでつづけていく関係性など存在しないのではないか? と思ってしまうのです。

ヒモだって人の子です。「ヒモなんてしてて恥ずかしくないの?」といわれたり、「あいつみんなに声かけてるよ」なんて陰口叩かれたりしたらそりゃ悲しいです。

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(左)回鍋肉とナス豆腐味噌汁と無限キャベツ。キャベツ三昧なこのメニューは彼女からのリクエストです。(右)今の彼女の好みに合わせ、辛くない甘口麻婆豆腐です。お互いにとって居心地の良い関係を二人で模索しています。

それでも、日本だけでもこんなに人がいて、その分だけコミュニティが存在するなら、「別にどう思ってもらってもかまわない」と開きなおることもできるのです。

というよりも、嫌われた大多数の人間に対して嫌な気持ちになったり怒ったりすることよりも、友達や彼女ふくめこんな屁理屈をこねている甲斐性なしにまだ付き合ってくれている人を大事にすることの方がよっぽど有意義であると思っています。

もとより人生でかかわる全員に好かれることなんて土台無理な話です。ヒモの僕にとっては、一人の女性が「カワイイ」と思ってくれるなら、そのことの方が何倍も重要なのです。

渋谷スクランブル交差点ライブカメラ映像を見ると…

あふれんばかりに大勢の人がいることをいますぐ確認するのにうってつけなのは、YouTubeの渋谷スクランブル交差点ライブカメラ映像です。

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(左)イタリアのマンマが家にあるものだけで作ったことが語源になった、パスタ「アーマリ・モーノ」です。(右)沖縄の暑い暑い夏にはぴったりの冷やし中華です。お皿も見た目に涼しげなものを選びました。

サッカーの祭典ワールドカップやハロウィンなどのイベントごとがあると、渋谷にたくさんの人がごったがえす慣習がいつからかできあがりました。

人は好きだが人混みが嫌いな僕はお祭りさわぎ状態の渋谷に行ったことはないものの、興味はあるので画面から渋谷を上空から観る卑屈な楽しみを持っています。

このライブカメラ映像が教えてくれることは非常に多いです。まず、信号が変わるたびたえ間なく流れゆく人混み群が毎回ちがう人で構成されていることに驚かされます。

さらに詳細に観測をつづけると、

「すべての人がぶつからないように歩いている」「知らない人に声はかけない」なんて人間社会のあたりまえのルールを再発見することもできます。

そのうえで、画面に映っては消えていく人たちがそれぞれにちがう不安や喜びを持っている、今日がどんな日だったかもだれひとりとして同じ人はいない……などと妄想をふくらませていくと、とまりません。

映る人全員が別々のコミュニティに属していたり、いろんな関係を築いていたりすることを考えるに、やっぱり目のまえの人との関係性だけでどうしようもないほどに悩んで疲弊するなんてもったいないことのように思えてくるのです。