映画館の創立者は、地元の飲食店グループの経営者

映画館を作ろうと一念発起したのは、青梅市内に4店舗の飲食店「火の鳥」グループを経営する、菊池康弘さん(39歳)だ。

写真=「シネマネコ」提供
4月23日、映画館「シネマネコ」の完成式典を迎えた菊池康弘さん

「構想は8~9年前、1号店の焼きとり屋を始めた頃からありました。お客さんから『青梅には昔、映画館があったのに、今はなくて寂しい』という話を聞いたときから、飲食というエンターテイメントだけでなく、映画というエンターテインメントを、地元の青梅につくりたいと思っていました」

菊池さんの人生は、20代から10年ごとに激変してきたと言っていい。20代は役者を志した。幼い頃から映画や演劇が好きで、卒業文集に将来の夢を「役者」と書いたものの、高校卒業後はやりたいことが何も見えず、飲食のバイトを漫然と行うフリーターだった。

「役者」への本格的なギアが入ったのは、20歳で結婚し、若い父となったことがきっかけだった。

「子どもや家族のために、夢に挑戦しないで人生を終えるのは嫌でした。子どもに、自分のやりたいことをやっている父親の姿を見せたかった」

単身、都内に転居し、故・蜷川幸雄氏に師事、俳優・上川隆也さんの付き人をやりながら役者を目指した。朝から夕方まで稽古、夜から朝方まで飲食のバイトを行い、家族の生活を支えた。

「1日2時間か3時間しか、寝てなかったですね。ドラマより舞台がメインでした。劇団を作って自主制作したこともあります……」

しかし、急に興味が失せた。「おまえ(の居場所)は、そこではない」と“天の声”が聞こえたのだ。

「蜷川さん演出の舞台を見ているとき、自分が表現者として舞台に立っているイメージができなくなりました。自分は、見ている側の人間だと。あんなにやりたくてやっていたのに、強烈に“違う”と思ったんです」

飲食店にコロナ禍が直撃

29歳で役者をスパッと辞め、青梅に戻った。自分にできる仕事は飲食しかなかったものの、好きどころか、むしろ嫌いだと思っていた。そんなとき、福生で1年、雇われ店長でバーテンをやることになった。これが楽しかった。

「自分の好きな料理が出せて、それを喜んでくれるお客さんが増え、売り上げもいい。自分の思ったようにできる飲食店の経営が好きになりました」