課長になるまで25年、下積み期間の長さに絶望

それでも役所に見切りを付けて辞めていくのは、仕事の忙しさが「無意味だ」と感じるケースが少なくないからのようだ。年功序列がいまもって崩れていない霞が関では、責任をもって仕事ができる「課長」になる年齢がどんどん高齢化し、今は50歳以上が多い。入省から25年くらいかかるのだ。その間、下積みが続き、大きな仕事を任せられることもどんどん少なくなっている。

かつては課長と言えば、大きな権限を握っていたが、今は局長や審議官にならないと実質的な決定権がない。つまり、役所に入ってもキャリアパスを描けなくなっているのだ。もちろん、その間、給与は少しずつ増え続けていくから、「安定」を求める人には天国のような職場かもしれない。

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6月には通常国会で公務員の定年延長法案が可決された。段階的に65歳に引き上げられる。同時に役職定年制が導入されたが、若手の官僚たちはこれで課長になる年齢がさらに上がっていくのではないか、と危惧している。ますます下積みの期間が延びることになりかねないのだ。

給与体系を変えなければ、優秀な人材は来ない

今の若者には、「ひとつの会社で定年まで働き続ける」と考えている人はほとんどいない。若いうちにキャリアを磨き、いくつかの会社を転々としてキャリアアップしていく、という欧米型のスタイルに、少なくとも意識は変わってきている。そうしたキャリアデザインから霞が関は外れてしまったということなのだ。給与や賞与の支給方法も、同期入省ならほとんど横並びで、毎年少しずつ増えていく、という終身雇用年功序列賃金を前提にした仕組みを、そもそも若者が求めていないのである。

若くても活躍できるポストを与えられ、給与もそれなりにもらえる。そんな給与体系に変えなければ、優秀な人材ほど官僚を志望せず、育った官僚ほど中途で辞めていく事態は続くだろう。

2007年に第1次安倍晋三内閣が公務員制度改革に着手しようとした際、霞が関はこぞって反対した。「消えた年金問題」も安倍内閣の公務員制度改革を潰すために官僚機構が流した「自爆テロ」だったという説もある。結果、第1次安倍内閣はわずか1年の短命に終わった。それ以降も、公務員制度改革は遅々として進んでいない。