ジャーナリズムとしての矜持を失っている
メディアはいつの時代も例外なく、売れるほうに靡く、朝日新聞も例外ではない。『そしてメディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社)の中で半藤一利はこういっている。
「戦後になってからは変わったのかというと、『朝日新聞』が戦後民主主義の論理を書き続けてきたというのも、実はそう書くことで新聞が売れたからだという言い方もできます。もし、逆に民主主義を言うことで新聞が売れなかったら、ここまで書き続けて来たのかと考えると、不安なところですね」
吉田調書問題などで社長が辞任して以降、明らかに朝日新聞はジャーナリズムとしての矜持を失っているように見える。
河井案里参院議員の公選法違反「買収」疑惑、特別給付金事業の電通と経産省の癒着、黒川弘務東京高検検事長とベッタリ記者たちとの賭け麻雀、総務省幹部への菅首相の長男、NTTの豪華接待疑惑など挙げればきりがないが、週刊文春の数々のスクープを、朝日新聞をはじめとする新聞は「後追い」するだけの機関に成り下がってしまった。
その上、黒川と雀卓を囲んでいた3人のうちの1人は朝日の元検察担当だったのである。
朝日は正しい選択をするべき時だ
安倍前首相の「桜を見る会」疑惑をスクープしたのは赤旗日曜版だった。『月刊日本』で山本豊彦日曜版編集長が、スクープを取れたのは「桜を見る会に違和感を持ったから」と答えていた。
3月14日付の赤旗日曜版インタビューで、私はこう語った。
「官邸クラブに所属している各メディアの記者は、その『違和感』を持たないのです。年中行事を取材している感覚です。だから“後援会員も呼んで、こんな集まりに税金を使っていいのだろうか”という普通の市民感覚からものを見ることができないのです」
出版社の雑誌編集者は、入社した時から「読者が今何に興味があるのか、どんなことに違和感を持っているのか、徹底的に考えろ」という教育をされる。週刊文春のスクープの原点はそこにある。
私は、朝日新聞が五輪開催も夏の甲子園も中止といい出さなければ、凋落に一層拍車がかかると考えている。実は、苔むしたリベラルの旗を抱いたまま、朝日新聞が破綻するのも悪くはないと思っているのだ。
このまま、反権力の幻影を宿しながら、権力側のいいなりになって大本営発表を垂れ流し続けるよりも、読者からも見捨てられ野垂れ死にするほうが、朝日新聞にとって幸せな“死に方”ではないのか。
東京五輪のオフィシャルパートナーになるという致命的な過ちを犯したのは自己責任で、同情の余地はない。だが、たかが50億~60億円を惜しんだために末代まで恥を晒すよりも、そのカネを即刻ドブに投げ捨てて、正しい選択をするべき時だと、私は思っている。(文中敬称略)