創業者のウォルト・ディズニーが1966年に亡くなり、同社はこれからどうすべきかについてその答えを見つけられず迷走していました。1980年代の低迷期は、“暗黒時代”と呼ばれています。

そんな時に、ジョン・ラセターという20代の若手社員が立ち上がります。彼は世界で初めてコンピューターグラフィックス(CG)を用いた映画『トロン』(1982年製作)に感化され、CGの可能性を強く感じ、社内でいち早くCGを用いた映画の企画を進めていきました。

ラセターさんはCGを使った企画を何度も提案するのですが、ディズニー社の経営陣はそれを無視し、彼を解雇してしまいます。CGという新技術にとって代わられてしまうという社内の反発に遭い、同社の幹部がさいなまれていたからです。当時、彼は26歳でした。

解雇されたラセターさんは、CGアニメの短編作品を準備していたエドウィン・キャットマルさんに声を掛けられ、映像制作会社ルーカスフィルムの子会社だった「インダストリアル・ライト&マジック」(ILM)に入社します。アニメーターとして、そこでいくつかの映像作品の制作に携わることになりました。

避けられたはずの74億ドルの「代償」

その後、所属していた部署がアップル社を追い出されていたスティーブ・ジョブズさんに売却され、1986年にピクサー社が創立しました。ラセターさんはそこで3DCGアニメーションソフトの開発や短編作品を制作します。1995年には『トイ・ストーリー』がディズニーの配給で公開されて大ヒットし、アカデミー特別業績賞を受賞しました。

写真=NASA/Paul E. Alers, From Wikimedia Commons
2012年3月29日、ワシントンのスミソニアン国立航空宇宙博物館のギャラリーで、映画『トイ・ストーリー』のジョン・ラセター監督(左)、ローリ・ガーバーNASA副長官、ジョン・デイリー(右)が映画のバズ・ライトイヤーを手にしている。

CG作品で名をはせたラセターさんとピクサー社ですが、2006年に転機が訪れます。

古巣のディズニー社がピクサー社を74億ドル(8500億円)で買収したのです。ラセターさんは両社のアニメーション作品の最高責任者として、自分を解雇したディズニー社に凱旋したわけです。

ここではラセターさんの武勇伝を紹介するのが狙いではありません。

当時ラセターさんを解雇したディズニー社の幹部たちが、CGという新技術にとって代わられるという危機感ではなく、自分たちがCGを活用するという発想にアップデートできていれば、こういう顚末てんまつにはならなかったでしょう。この点に着目して欲しかったのです。

過去の成功と方法論に固執してしまうと、人も企業も柔軟な発想に立てなくなります。これまでの暮らし方や業界の常識が、いつまでも通用するとは限りません。実際に、ディズニー社はフルCGのアニメ制作に完全に乗り遅れ、自前のアニメは2005年の『チキン・リトル』まで待たなければなりませんでした。