受験戦争に勝たせてあげられる先生が「いい先生」
そのようなわけで、親たちは、より幼いときから子どもたちを親の敷くレールに乗せて、生活保障につなげようと考えます。まだ親の力が及んで言うことを聞く幼少期に、勉強の習慣をつけ、おもちゃやお菓子、ほめ言葉といった報酬を与えながら塾に通わせ、子ども自身の努力よりもむしろ親を含む環境の力で「いいレール」に乗せてしまうことが、親の務めだと考えるのです。
先生たちはこういう親の気持ちが理解できるために、とまどいながらもその願いを叶えて進路を保障するのが教員の役割であると思ってしまいます。学校が塾化していくのは、学力を上げて親子の望む進路に行かせてあげるのが先生の仕事だと思うからでしょう。受験戦争に勝たせてあげることが教員のできる愛情の示し方だと思うのも当然といえば当然かもしれません。
それが「いい先生」と親子から感謝される道筋でもあるのです。そして、実際のところ、望む進路に行ける可能性の高い学校の志願率が高くなり、そういう学校は受験料を稼ぐことができるのです。
大人たちは子どもをベストな時期に“出荷”しようとする
「みんな違ってみんないい」という言葉がはやる一方で、日本では、月齢で発達の目安が示され、年齢で一斉に進学が決まります。学校教育においては同じ時期に同じことを全国で一斉に進めていくことが求められています。これは必ずしも世界標準ではありません。
人は生涯かけて成長していくもので、受験や就職はゴールではないはずです。でも、商品は高値のときに高く売るのが、商売の鉄則です。日本の社会においては、そのタイミングで最適に仕上がるようにしなければ、仲間から乗り遅れてしまうかもしれません。人の発達の進み方には個人差がありますが、個人差で後れを取るわけにはいかないというわけです。
たとえば入試において、あるいは所得において、非認知能力において、早生まれは不利で、4〜6月生まれが有利だという近年の労働経済学の研究があります。同様の研究結果が出ていることを私は35年ほど前に教育心理学の先生にうかがいましたが、そのとき同時に、この結果は公表すると親たちが産み月を調整するかもしれないから公表されないのだと耳打ちされました。このように、日本の大人たちは、子どもをベストな時期に出荷するのが得策だと考えてしまうようなのです。