国や自治体に従う忠誠心が使い果たされてしまった
むろん、これを不謹慎、不届き者だという人は少なくないだろう。しかし重要なことなので強調しておくと、このような光景は、かれらが不誠実で不道徳だからこそ生じたというわけではない。この1年あまりを徹底して「お願い」ベースで一貫し、究極的な責任を回避し続けながらも、国民同士の相互監視と叩き合いによって「事実上の命令」を行使しつづけた挙句(自分たちは会食してクラスターを出すなどの失態を交えつつ)、感染拡大を食い止められなかった国や自治体に対して、尽くすための忠誠心が使い果たされてしまっただけだ。
忠誠心が薄れていくにつれ、特に若者層からの反発は大きくなっていった。「なんで年寄りばかりが死ぬウイルスのために、自分たちがいまこのときにしかない楽しい時間を犠牲にしなければならない?」「なぜ高齢者の命のために、まだまだ先の長い私たち現役世代の仕事やプライベートを捧げなければならない?」という彼・彼女たち若年層の不満がいよいよ無視できないほどの大きさにまで拡大してきた。多くの方がお気づきのことだろうが、コロナ前まで若者たちでにぎわっていた街は、次第にかつての人出を回復しつつある。
いくら国や専門家が「第四波となるこれからは、若いからといって死なないとはかぎらないのだから自粛しろ」と脅し半分に申し立てても、「確たる証拠はどこにある?」「統計を見れば、結局は致命的リスクは高齢者に偏るのは変わらない」「若者はむしろコロナよりもコロナによる社会的停滞による自殺に追い込まれている」といった反発が各所で生じている。
実際、こうしたロジックに反論することは、現時点のエビデンスでは相当に難しいと言わざるをえない。「もう俺たちにそんな脅しは通じないぞ」と態度を翻されても無理はない。
職業間、世代間の分断だけが深まり続ける
3度目の緊急事態宣言は、おそらくは失敗に終わる。映画館やイベント会場を閉じたところで、感染防止に期待するほど奏功することはないだろう(そもそも変異型の感染力が従来よりはるかに高いのであれば、お願いベースでのゆるやかな自粛要請では限界がある)。
国や自治体への不信感が募り、自粛を続けても生活や財産を守れる者と、自粛していたら生活や人生が破綻してしまう者との軋轢や分断は深まる。致死リスクの高い高齢者とそうでない若者との世代間対立も激化する。
緊急事態宣言のさなか、すべての人がバラバラに引き裂かれながら、全国民へのワクチン接種という最後の希望にすべてを託すことになるだろう。