「お願い」なら従わなくてもいいのではないか

しかしながら、市民社会も政府や自治体の「文学的表現」に、やられっぱなしというわけでもない。「休業要請」や「営業自粛」は、文字どおり国や自治体からの「お願い」にすぎないのだから、市民社会はその「お願い」を断る権利があると考え、実際にそうするような者たちも現れはじめた。

たとえば、「カフェ ラ・ボエム」などを運営するグローバルダイニングは、緊急事態宣言による休業や営業時間の短縮、酒類の提供自粛などの要請には一切応じない方針を示して通常営業を続け、業績は黒字転換している。もし市民社会が「外食はしない、休業や時短要請に応じず、酒類を提供する店は社会悪である」というコンセンサスを持っていたなら、グローバルダイニングの好調はありえなかっただろう。多くの人が内心ではこの「非日常」にすっかり辟易していて、ゆっくり時間をかけて会食や飲酒を楽しみたいからこそ、グローバルダイニングは「儲け」を出している。

レストラン内のシェフと着席した客
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人権侵害を厭わず断行し、100パーセントの責任を負うことを回避し続けながら「お願い」ベースに終始してきたのだから、その「お願い」が聞き入れられなかったとしても、文句は言えまいというのがグローバルダイニングの理屈である(グローバルダイニング社は『命令』であれば従うと明言していることからも、おそらく同社は国や自治体の『文学』をすでに見抜いている)。彼らが堂々とそう主張したのは、会社や自分たちの生活を成り立たせるために必要に迫られたということもあるが、なにより自分たちの「要請を拒否する」という決断を支持する人は、すでに潜在的には多くなっているだろうという追い風を感じたからに違いない。そしてその読みは的中した。

同調圧力を使った「神通力」の効力が落ちてきた

国や自治体はこの1年間、自分たちの「お願い」を聞き入れてくれない者には、市民社会で「私的制裁」が速やかに起こるように最大限の工夫を凝らしてきた(事業者名や店舗名を公表するなど)。いわゆる「自粛警察」の活躍に期待してきたのである。

昨年を振り返ってみると、その考えは首尾よく運んでいた。戦時中よろしく「非国民」をあぶりだし、これをリンチしてくれる国民の「自発性」によって、自らは命令を下さずにして、ほとんど命令と同じ効力の「お願い」を実現してきたのだから。

だが、同調圧力の強い国民性を利用した「神通力」も、いよいよその力が薄れつつあるようだ。街を見れば「路上呑み」に溢れかえっており、緊急事態宣言などどこ吹く風で「密」になって談笑する人びとがいる。