独立して学校を創る夢が会社にバレる

仕事に全力投球した30代。やがて40歳になると、小林は一人でアメリカを旅行した。日常から離れて、これからの生き方をじっくり考えたかったという。

「独立する意思が会社にバレちゃって……」ユーモアたっぷりに話してくれる。(撮影=遠藤素子)

飛行機でロサンゼルスへ、さらに大陸横断鉄道でニューヨークを目指す。そこでヘアデザイナーとして活躍する日本人女性と出会い、意気投合する。彼女と話すなかで自分のやりたいことが明確になっていった。

「世界に通用するメイクアップアーティストを育てたい」。そのためには高い志と技術をもった人材を育成する学校を創りたいと。目標は45歳。当時は女性の定年が45歳だったから、会社を辞めて学校を創るつもりでいた。

それが一転したのは数年後、あるとき雑誌の取材でその夢をオフレコで話したところ、すっかり記事になり、会社にバレてしまう。創業社長に呼ばれて「辞めるつもりか?」と聞かれ、正直に打ち明けると、「美容業界の活性化にもつながるから社内でやればいい。企画書を出して提案しなさい」と言われたのだ。

困難は覚悟のうえで提案したが、頭の固い重役たちは社内ベンチャーに理解がなく、女性ゆえの反発も根強い。幾度も壁にぶつかり、やはり社内では無理とあきらめかけたが、就任間もない2代目の社長が、全国の販売店が集まる大会で「小林照子が学校を創る」と発表してしまう。すると、あっという間に取締役会で企画が通った。

取締役就任で「男の嫉妬」の根深さを思い知る

小林は48歳で念願の「ザ・ベストメイクアップスクール」を設立。校長に就任し、独自のカリキュラムで指導にあたる。すでに女性の定年は延長され、小林は美容研究部長も兼任した。さらに50歳になると、いきなり役員にならないかという話が持ち上がる。

「取締役だか戸締り役だか知りませんが、どういう仕事をするのか私にはわかりません。お断りいたします!」

最初は固辞したものの、同僚に後押しされた小林は後に続く人たちに道を拓けたらと、女性初の取締役という任を引き受けた。すると「次こそは自分が」と狙っていた男性たちは人生設計が狂ったようで面白くない。出世にこだわる男性からの風当たりは強かった。

役員の朝食会に初めて出席したときのこと。8時からと聞いていたので10分前に行くと、もう皆が揃って、朝食を終え和気あいあいと談笑している。たいてい1時間前には集まるという慣習を、自分だけ知らされていなかったのだ。

社内でも応援してくれていたはずの男性が急によそよそしくなったり、伝えられるはずの情報を受け取れなかったり。社長との面談の約束をなかなか取ってくれないという嫌がらせをする幹部もいた。彼は小林に辞任の意思があると知るや、「何でも相談しなさい」と手の平を返したように親切になる。男の嫉妬を思い知らされる体験だったが、それも自分の考え方ひとつで乗り越えられたという。