要介護の父のケアをする中、今度は母親が甲状腺がんに
南野さんには2歳上に姉がいたが、結婚して車で3時間ほどの遠方で暮らしている。一方南野さんは二度の離婚を経て、実家から車で5分ほどのマンションに1人で住んでいた。
父親は、その後も1カ月半ほどおかしなことを口走っていたが、幸いだんだん落ち着いて、少しずつ穏やかになっていった。
同年7月、父親の退院が決まり、自宅での介護が始まる。南野さんは、介護用ベッドのレンタルや介護タクシー、デイサービスやヘルパーの利用などの契約や手続きに追われた。
その当時の父親は、脊髄梗塞の後遺症で、足の運びがうまくできず、手すりや介助がないと歩けない状態。そのため南野さんは、退院までに居間や玄関、トイレや浴室などに手すりを付けるリフォームを手配した。それでも入浴時は危険が伴うため、母親が手伝った。
「娘の目から見て、母は介護の専門家ではないのに、本当によく頑張っていたと思います。ただ、父は自分が思う通りのことを母ができないと怒るんです。感謝の気持ちを全く口にしないわけではなかったですが、父はもともと気難しいところがあり、母にしてみればいつも文句を言われている感覚だったと思います」
父の自宅介護が始まって1年半。2013年10月、70歳になっていた母親は、軽度の糖尿病があり、近所の内科を月に一度受診していた。主治医が首を触診したとき、違和感があったためレントゲンを撮ると、すぐに紹介状を書き、大きな病院で診てもらうよう言われる。
その足で総合病院を受診すると、甲状腺がんが発覚した。手術を勧める医師を前に、母親は「夫を家で介護しているため、施設に預けないと手術は受けられない」と相談。すると医師は、翌年の2月まで猶予をくれた。
「母は若い頃から元気で明るく、病気ひとつしたことがない人。それが”油断”となったのでしょうか。母自身、違和感を覚えていたそうですが、特に気に留めなかったようです」
2014年2月。73歳の父親を初めてショートステイへ預け、母親は甲状腺がんの手術へ。当初の予定では、片方だけ摘出することになっていたが、手術中に急遽全部摘出することに切り替わった。
5時間に及ぶ手術が無事終わり、ほっとした南野さんは父親を迎えに行ったが、ショートステイ施設へ着いた瞬間、病院から電話が入る。母親は手術後出血が止まらない、という内容で、再手術を受けることに。父親は南野さんの姿を見るなり「早く帰りたい」とこぼしたが、「もう少し我慢してね」と言い残し、母親の病院へとんぼ返りした。