想定外の授かり婚は最良の影響を人生にもたらした
現在、私には今年(2021年)で5歳になる長男と、生まれたばかりの長女が居る。いろいろな現場で、一児の父、あるいは二児の父には到底“外見上”見えない、と言われる。根が斜に構えていて、暗黒の青春時代を30代になってから取り戻そうと“若作り”している私を第三者が見るに、これは当然の評価であろう。社会通念上の常識として、私の外面上の特徴は、到底二児の父にあるまじき「バサラ」であろうから致し方ない。
私は幸運にも30代中盤で“授かり婚”に恵まれ、そしてそれに続き第二子が誕生した。“授かり婚”というのは基本的にカップル双方が必ずしも意図しないハプニング的要素が含まれていると思うが、結果としてはこれで良だったと思う。私は両親に受けた“虐待”のトラウマが30歳を過ぎても解消できず、「自分のような人間は家庭を築けない」と思い込んでいた。
”授かり婚”は完全に私にとって想定外だったが、結果としては最良この上ない影響を私の人生にもたらした。「虐待を受けた子は、その子にも虐待をする傾向がある」とは、心理学界隈の中で語られる傾向にあるが、私は今年で5歳になる長男に良い意味でも悪い意味でも、完全な不干渉を貫いている。
妻からすると「やおら子育てに熱心ではない」という烙印を押されるだろうが、子に対する徹頭徹尾の不干渉こそ私の哲学だ。私の人生は両親に過剰なほど設計・干渉された結果、それが遂に重度の精神疾病として現出した。その苦しみは、同様の症状を発症した全国のパニック障害患者等にとってはまさに“生き地獄”そのものである。
親子の齟齬は解消できる可能性を秘めている
父となった私をしての最優先の子育て方針とは、このような苦しみ、地獄の状況は私を最後にしてほしい――、と願うことに尽きる。歪んだ両親からのさまざまなコンプレックスで、人生を強制され、よしんば加虐までくわえられた人間当事者の結論は、次世代にこの苦痛を継承させない――、その一点に尽きる。その意味で、私の伴侶には最大の感謝と愛の熱情を表明するものである。
碇ゲンドウは現代的価値観をもってすれば完全に「毒親」である。しかし今次の『シン・エヴァンゲリオン』でその“異様な父子関係のもつれ”は完全に昇華され、シンジのエディプスコンプレックスは劇中の通りの結末をたどった。子と父、父と子の関係性の齟齬はある意味、人間にとって、特に男子にとって永遠のテーマである。
しかしこの齟齬は、その条件が整いさえすればあるいは解消できる可能性を秘めている。畢竟私はその解消が不可能なほどの状況に至ったが、これを読む読者の方に、まだ“早期の段階において”その断絶が解消される機運があるなら、私は断じて、手遅れになる前に“和解”を勧告したい次第である。