日本でも「コロナ課税」の余地はあるはずだ
日本でも、コロナ禍で経済が苦境に立つ現時点で所得税率や消費税率を引き上げることは不合理だ。しかし「デジタル課税」は、日本も国際合意の行く末を見守るが、本来ならすぐに導入していい仕組みだ。また「国境炭素税」や「プラスチック新税」なども、行動変容を促すという意味合いが強いため、導入に向けた議論の余地は大きいかもしれない。
いずれにせよ、日本の公的債務残高は、コロナショックを受けて国内総生産(GDP)の250%を超えた模様だ(図表1)。こうした異常な財政の状況を考慮した場合、標準的な経済学の理論に即せば増税は必須となる。一般財源に余裕がない中では、政府が新たな取り組みを行う場合には、特定財源を確保するために目的税を徴収せざるを得ない。
一方、現代貨幣理論(MMT)の立場だと、政府は債務を返済する必要がないばかりか、政府はもっと国債を発行すべきだという議論になる。実際、発券機能がある中銀を持つ日本の場合、政府の財政赤字はいくらでもマネタイズできる。バブル崩壊後の日本が実施してきたことだが、財政の維持を最優先の均衡にすればいいだけだ。
しかしそうした徒な国債の発行は、本来なら民間に流入すべき資金が政府に集中していることを意味するとともに、将来的には「円の暴落」という看過できないリスクを伴う荒業でもある。製造業の海外移転が進み、円安が輸出の数量を増やす時代ではない。企業業績が改善したとしても所得が増えず、輸入コストが増える傾向にある。
それに少子高齢化が進み、国内の労働力の減少が叫ばれて久しい。実際、わが国の経済もまた少なからず外国人労働者に支えられている。彼らに働き続けてもらうという観点からも、円高誘導には一定の意味合いがある。少なくとも、円の暴落は回避しなければならない。円の価値を保つことの意味合いを、われわれはいま一度認識すべきだろう。