「村上春樹論」語る飲み会で翻意

辞表を出したところ、上司と先輩に飲みに誘われた。説教されるのかと渋々向かった先で思いがけないことが起きた。飲み会は長嶋さんが大好きな村上春樹の話題で大いに盛り上がり、それまで上司や先輩に抱いていた「ど根性営業の権化」というイメージが、尊敬の念に変わったのだ。

営業部時代の長嶋さん(写真=本人提供)

「日付が変わるまで延々と文学について語ることができるほど人間のエスプリをわかっている人たちが、なぜこの仕事に心血を注いでいるのか、がぜん知りたくなったんです。彼らが面白さを感じている部分はどこなのか、それを解明してからじゃないと次に行けないな、と」

そこから上司と先輩の仕事ぶりを観察するようになり、「利益を出せる営業」のコツを身につけていく。また、顧客からの叱咤激励をきっかけに会計も学び始め、入社5年目には社内でもトップクラスの営業ウーマンに。仕事の面白さにも目覚め、やりがいも上がっていくばかりだったという。

「自分のコピー造成」で大失敗

しかし、課長代理に昇進した後、最初の大失敗を経験する。

長嶋さんは、自身が好成績を収めていたことから、「チームの業績を上げるには自分のコピーをたくさん育てればいい」と考え、営業手法から資料のつくり方まですべて、皆が“長嶋流”にできるよう指導した。チームのためによかれと思ってしたことだったが、これが思わぬ結果を招いた。

業績は期待通りには上がらず、さらには部下の一人が欠勤するようになったのだ。心配して家を訪ねた長嶋さんに、その部下は「長嶋さんが言っていることは全部正しい、でもその正しさがつらい」と心情を吐露。一人ひとりの個性を見ず、ただ自分が思う「善」を押しつけていたと気づいた瞬間だった。

「自分のコピー造成を目指すのはそこでやめました。得意分野や特性は人それぞれなのだから、それに合った育成方法をとらなければと思うようになったんです。それに、一人ひとりの矯正に時間をかけるよりそのまま生かすほうが合理的。以来、鋳型にはめるようなコミュニケーションは一切しなくなりました」

やがて部下たちは伸び伸びと働くようになり、それに伴ってチームの業績もアップ。さまざまな個性が花開いたせいか、社内でも「動物園のようにいろいろな珍獣がいる部署」として人気の部署になった。