大型官舎での生活はすごく息苦しい

今はもうさすがにそこまでのことはないと思うが、昔は、裁判官が自宅をもって官舎を出ると遠くの裁判所に異動させられるといった意地悪人事が多かった。これは、「まだ若いくせに家なんかもつとこうなるよ」という見せしめだ。そして、周囲の裁判官も、その多くは、陰で、「それみたことか」と面白がっている。実に日本的な、抑圧された感情の発露である。

以上のような理由で、多数の裁判官は、40代後半ぐらいまでは自宅をもちにくく、官舎生活が長くなる。

この官舎生活は、外の世界から完全に隔離されていて、近隣との付き合いは一切ない。精神的な壁で周囲から隔てられた集合住宅なのである。そうはいっても、地方であれば、官舎の規模もしれているから、その中での付き合いもまずまず常識的なもので、それほど特異なものはない。

しかし、東京の大型官舎は別である。4棟、5棟のアパート群となり、住んでいるのは裁判官とその家族だけだから、右のような官舎の特質が、何倍にも濃密になる。個々の裁判官やその妻の抱えている精神的なひずみも、同様に増幅される。もちろん本当に問題のある人々の割合はそれほど大きくないはずだが、何というか、総体としての閉塞感、息苦しさが非常に強くなるのだ。

いばる妻、高級車に傷、子どもの陰口…

まず、夫が事務総局の課長や調査官(最高裁判所調査官。最高裁における裁判について補佐的な調査をする人々。以下、「調査官」という)でえらいのだからといって自分もいばり、判事補の妻たちに命令口調で接するようなエリートの妻たちがいる。

一方、判事補でも、夫婦とも裁判官で官舎に入っている人々には、自分たちはほかの夫婦より一段上だという奇妙な思い込みをもったカップルもいて、家の前に停めてある高級車に傷が付けられたのは自転車の子どもたちの仕業だなどと言って大騒ぎしたりする。

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傷のかたちを確認してみると、くぎ状のものによる横に長いひっかき傷で、明らかに、高級車が時々される悪意あるいたずらによるものであり、子どもの自転車運転の過失で付けられるような傷ではないのだが、本人たちはそう言い張って聞かないのだ。仕方なく、彼らの先輩まで含めた裁判官の妻たち(子どものいる人)が、集団で謝りにゆくことになる。

裁判官の妻にはお金持ちのお嬢さんもいて、そういう人が高級な服を着、高そうな犬を連れて優雅にあたりを散歩したりすると、陰でいろいろ言う人が出てくる。子どもの成績がそれほどよくなければ「あの子はできないのよ」と言われるし、逆に、特別よくできたりすれば、「あの子はできるけど性格が悪いのよね」と言われる。