いまも震災関連死が増え続ける福島

公演のあと、私は子どもたちに、将来、大学とか、専門学校とか、職場で福島の子どもたちと出会ったら、差別だけはしないほしいとお願いしています。

今度の原発事故で、まちがいなく、子どもたちに無用の放射線被曝をさせてしまったのです。この子どもたちに、何が大人としてできるのか。私の場合は、全国をまわって、同世代の子どもたちに福島の子どもを差別しないでくれというお願いをすることを、ずっと続けようと思っているのです。

写真=筆者提供
劇を見る子どもたちの様子(2003年)

なぜなら、他県に避難した子どもたちが、避難先でいじめにあって苦しい思いをしたり、みずから命を絶ってしまったりしているのです。甲状腺ガンと診断されて(甲状腺検査結果の状況)手術を受け、喉に傷が残ったり、精神に傷が残り、将来に不安を感じたり、進学先や就職先をやめざる得なくなったり、結婚が破談になったりするという現実があり、いたたまれないのです。

被災三県といわれる岩手や宮城では、震災関連死は年々減少しているのですが、福島は増えていて、この1年間は36人が認定されました。震災関連自殺も、この1年間で12人もいるのです。大震災でせっかく助かった命が、日本社会のいじめによって殺されていく現状をなんとかしたいのです。原発が安全で未来のエネルギーだということに反対を唱えることなく、黙認してきた大人の責任としてです。

人はつながりがないと生きていけない

私は、人間は、衣・食・住がそろえば最低限、生きられると思っていたのですが、この大震災を経験して、それだけでは生きられないということがわかりました。つらいことをつらいと言える他人、喜びを一緒に共有してくれる他人がいないと生きられないのです。つくづく3000年前のアリストテレスが、「人間は社会的動物である」といったのですが、本当にそうなのだと思いました。

日本国憲法25条に「健康で文化的な最低限度の生活を送る」という文章があるのですが、なんで文化的という言葉が入っているのか、わからなかったのですが、人と人をつなげていくのは、言葉だったり、歌だったり、とにかく広い意味での文化なのです。この年になって、初めて理解したのです。

これから福島は、つらい思いをした人が、未来に希望が持てるような社会、困っている人が困っているといえる社会、お互いの違いを認識し、一致できるところから連帯できる社会、まちがったとしてもやり直しができる社会、心地よい社会、差別や偏見のない社会をめざして、食料・エネルギー・医療が自立していけるような県になって、子育てしやすい環境で、老後も楽しいところになるように、私は演劇活動を通して考えていきたいと思う今日この頃です。