この地へ向けて移送されたユダヤ人のほとんどは、中欧・西欧出身であった。すでに1942年初頭、東部オーバーシュレージエンとスロヴァキアからの最初の移送が、ここに到着している。夏にはドイツとオーストリア、さらには西欧諸国、ルーマニア、ノルウェー、クロアチアからの移送が始まった。のちには、ブルガリア、ハンガリー、ギリシアからの移送もこれに加わっている。

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約570万人のほか、「ジプシー」も犠牲に

降車場に降り立つやいなや、到着したユダヤ人は労働可能かどうかを判定された。労働可能と判断された者はその後収容所へと送られ、強制労働させられた。だが多く(ほとんどの女性、老人全員、子ども全員)はただちにガス室へと送られ、そこで殺されたのだ。1943年末までに、ここで約84万人のユダヤ人が殺害された。

ウルリヒ・ヘルベルト著、小野寺拓也訳『第三帝国 ある独裁の歴史』(角川新書)

戦争中、暴力的に命を奪われたユダヤ人は、合計すると約570万人に達する。第2次世界大戦中のドイツによる絶滅政策の全体像を、正確に見通すことは依然として不可能である。

570万人のユダヤ人に加え、約20万人のシンティ・ロマ(「ジプシー」)、少なくとも100万人に及ぶ非ユダヤ系のポーランド人民間人、約280万人のソ連兵捕虜、約300万ないし400万人のソ連民間人、そして約50万人のドイツ占領地域およびドイツ本国における、それ以外の非ユダヤ系民間人が犠牲となった。つまり、合計すると、おおよそ1200万ないし1400万人の民間人が、戦闘行動以外でドイツの支配地域で命を落としたことになる。

 
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