「ユダヤ人問題に関して総統は、ユダヤ人問題を片付けることを決断した。彼はユダヤ人にたいして、もし彼らが再び世界大戦を引き起こすことがあれば、彼らはそのさいみずからの絶滅を体験することになるだろうと予告した。これは空言ではない。世界大戦は起こったのであり、ユダヤ人の絶滅は、必然的な帰結でなければならない。この問題については、あらゆる情緒とは無縁に考えなければならない。
我々はそのさいユダヤ人に同情するのではなく、ただ我々のドイツ民族に同情しなければならない。もしドイツ民族が今ふたたび東部の戦場で16万人の犠牲を払ったのであれば、この血まみれの紛争を引き起こした張本人は、みずからの命をもってそれを贖《あがな》わなければならない」。(※2)

※2 Joseph Goebbels: Eintrag vom 13.12.1941, in: ders., Die Tagebücher von Joseph Goebbels, hg. v. Elke Fröhlich, 32 Bde., München 1993-2008, Teil II, Bd. 2, S. 498 f.

「絶滅政策」ヴァンゼー会議を開いた3つの目的

ユダヤ人の命運について決定的な決断がなされた時期は、1941年10月末から11月末までのあいだだと断言できる。この時期の終わり頃にあたる11月29日、保安警察と保安部が所属していた国家保安本部の「ユダヤ人問題」担当官はハイドリヒの命令を受けて、この問題に関与していたすべての国家当局に、12月9日に調整のための会議を開くことを通知した。この会議はアメリカの参戦のため6週間延期され、1942年1月20日にベルリンのヴァンゼー湖畔の邸宅で開催された。

ハウスデルヴァンゼー
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その目的は、主に3つあった。一つは、参加した関係機関に以下のような新方針を説明し、そのために必要となる措置について調整する必要があった。つまり、ポーランドおよび西欧のユダヤ人は戦後ではなく、直ちに移送を開始すること、しかもその目的地は北部ロシアではなく、総督府に新たに造られた絶滅施設であること。

第二に、この件は国家保安本部が指揮監督を行うことについて、ほかの国家当局に確認する意図があった。そして第三に、すでに長いあいだ議論されてきた「2分の1ユダヤ人」(※3)や、いわゆる混合婚として生活しているドイツ・ユダヤ人の問題も、会議で明確にすることとされた。

※3 〔訳註〕祖父母四人のうち二人がユダヤ教徒である人をさす。