電通が圧倒的な影響力を持っていた背景
電通という企業は一般にはあまり馴染みがなく、社員の過労自殺や持続化給付金の再委託問題、あるいはオリンピックを通じた政治との密接な関係が取り沙汰される前は、業務内容を詳しく知らない人も多かったはずだ。
だがメディア業界や政官界においてその存在や影響力を知らない人はおらず、同社は広告・メディア業界のガリバーとして戦後社会に君臨してきた。電通がメディア業界や政官界に極めて大きな影響力を行使できた最大の理由は、発足の経緯にある。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月、政府は報道統制を実施するため国家総動員法に基づく新聞事業令を施行。全国に100以上あった日刊紙は55に統廃合された。新聞社にニュースを配信する役割を果たしていた通信社も、国策通信社である同盟通信に一本化されたが、その際、広告部門として独立したのが現在の電通である。
つまり電通という企業は国家総動員体制をきっかけに、(電通自身は消極的だったとはいえ)メディア広告を一手に引き受ける企業として人為的に作られたものであり、発足当初から政治色が強かった。戦後もこうした寡占状態が継続したので、電通は圧倒的な競争力を維持することになった。
デジタル化は広告ビジネスに質的な変化をもたらした
こうした電通の独特の立ち位置は昭和から平成の時代にかけても継続したが、1990年代に入って状況に変化が生じ始める。
90年代後半からネットが急速に普及し、新規参入がほとんどなかった広告業界に多くのIT企業が参入してきた。単にネット広告が増えただけであれば、電通は得意とする営業力を生かして新しいメディアを開拓すればよいのだが、ビジネスのデジタル化は広告業界に質的な変化をもたらした。
グーグルをはじめとするITを駆使した新しい広告事業者は、広告を入れる媒体の特徴をシステムが自動的に解析し、リアルタイムで広告を配信する仕組みを構築し、ネット広告では大きなシェアを獲得した。
電通は広告主とメディアの両方に対する営業力を競争力の源泉としてきたが、IT社会においてはこうした付加価値は小さくならざるを得ない。広告ビジネスのIT化は各国共通の現象であり、同社が活路を見いだそうとした海外展開についても状況は同じである。
こうしたところに発生したのがコロナ危機であり、ポストコロナ社会において、ビジネスのデジタル化がこれまで以上に進展するのはほぼ確実な状況となっている。
もっともデジタル広告が増えるといっても、テレビなどの既存媒体がすぐに消滅するわけではないし、広告主に対するコンサルティングなど、大手ならではのアプローチも引き続き有効である。電通はその企業体力を生かし、大口の広告主やメディアを確保できると考えられる。
広告配信のAI(人工知能)化についてもM&Aなどを通じて対応が可能であることから、大きな流れさえ見誤らなければ、ビジネスの根幹が揺らぐ可能性は低い。同社は今後の事業戦略としてデジタル化をひとつの柱としており、IT企業である電通国際情報サービス(ISID)や電通デジタルといったグループ会社を通じて、デジタル戦略を加速させる方針である。